津山恵子のニューヨーク・リポート Vol.6

津山恵子のニューヨーク・リポート
Vol.6 世界を「音楽」にした坂本龍一のメッセージ

2016年12月23日、福島市内の冷え込んだ小学校玄関に映画「ラストエンペラー」のテーマ曲が鳴り響いた。そこに、坂本龍一さんの姿があった。彼が弾く電子ピアノの背後は、児童の下駄箱がずらりと並ぶ。共演するのは、105人からなる「東北ユースオーケストラ」の子どもたち。坂本さんが一緒とあって最初は緊張していたが、彼のピアノがぐいぐいとオケを引っ張り、寒さを忘れさせた。  

東北ユースオーケストラは、2011年の東日本大震災当時、岩手、宮城、福島の3県に住んでいた小学4年生から大学4年生を集めて発足した。地震と津波は、楽器も、そして子供たちのオケ仲間さえ奪った。オケは、そんな彼らを音楽で一つにしようと、坂本さんが音楽監督になった。 「音楽をすることが何かの救いになり、平和な日常のありがたさを知ることもできる」 と、坂本さんは、東北ユースオーケストラへの想いを話した。  

私はニューヨークから、東北ユースオーケストラをインスタグラムでフォローしている。メンバーは毎年変わるが、楽器をかまえる子どもたちの笑顔がまぶしい。このオケは、坂本さんの「遺産」だ。音楽を奏でる仲間がいるという日常、それが「平和」である。それは、坂本さんが、「平和」を希求する活動家として残したメッセージでもある。

2017年5月、坂本さんが日本クラブで行った講演会で、筆者(右)は聞き役を勤めた。(photo: Miho Kanai / 本紙)

福島での出会いののち、坂本さんには、計6時間ほどインタビューした。彼の話で最も印象に残ったのは彼が「常に進化している」ことだ。同じころ、坂本さんが音楽を手がけた「母と暮らせば」(山田洋次監督、15年)と、「レヴェナント 蘇りし者」(アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督、15年)が公開された。坂本さんは、中咽頭がんの闘病中も、映画音楽の構想をまとめていたのだ。  

「母と暮らせば」では、長崎原爆で息子を失った母(吉永小百合)の元に、息子(二宮和也)が学生服を着た幽霊となって現れる。母が幽霊に気がつく直前に、ひそかな弦の響きがふっ、と流れる。「幽霊の音」だ。  

「レヴェナント」は、米国開拓時代のサバイバーを演じたレオナルド・ディカプリオが、生き残るためバイソンの生のレバーを食べるシーンで有名になった。傷つき、死と隣り合わせの日々。真っ白で凍てついた広大な荒野が続く。そこに、低音弦楽器のうなるような分厚い音が耳をつんざく。「凍った荒野の音」だ。  坂本さんは、現実を超えた幽霊や、想像を超える厳しい自然の姿をさえ、「音楽」に変えた。  
インタビューの内容は、雑誌AERAで4ページにまとめた。最後の締めはこの一文だ。 「私たちは今、何ができるのだろう」  
坂本さんの、音楽家として、活動家として常に進化し、挑戦し続けた人生は、この問いを私たちに投げかけている。

津山恵子 プロフィール
ジャーナリスト。ザッカーバーグ・フェイスブックCEOやマララさんに単独インタビューし、アエラなどに執筆。共編著に「現代アメリカ政治とメディア」。長崎市平和特派員。元共同通信社記者。

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