Published by
共同通信
共同通信
1923年9月の関東大震災の翌月、「地震博士」として有名だった今村明恒東京帝国大(現東京大)助教授が皇太子の裕仁親王(後の昭和天皇)に緊急で進講した際の手書き原稿が30日までに見つかった。地殻のせめぎ合いで地震が起きるとの当時の新説を紹介し、東京の防火対策が江戸時代から退歩したと訴える内容。孫の英明さん(88)=東京都在住=が約10年前、自宅に残る遺稿の中から発見していた。
原稿「一般地震と関東大地震とに就(つ)いて」は計20枚でペン書き。29年1月、地震学会誌にほぼ同じ内容を発表している。
北原糸子・立命館大客員研究員(災害史)は、大正天皇に代わる摂政の激務を務める皇太子は科学者でもあり「進講がある種の救いや余裕をもたらした」と推測する。
この原稿は現在の理論プレートテクトニクスに通じる「大陸漂流説」を紹介するなど、かなり専門的な内容。