Published by
共同通信
共同通信
太平洋戦争末期に激戦地となった小笠原諸島・硫黄島(東京都小笠原村)の元島民らが、墓参事業の拡充を都や村に求めている。約20年続いた船舶での訪島は終了し、航空機による訪島も回数や参加人数に限りがあるためだ。米国から日本に返還されて今年6月で55年。元島民やその家族の高齢化が進んでおり、関係団体は「待ったなしの状況」と訴えている。
「訪島がかなわないまま亡くなった人もいる」。元島民らで構成する「硫黄島帰島促進協議会」の麻生憲司会長(59)は、力を込める。
硫黄島は戦時下の1944年、軍属以外の島民が本土に強制疎開となった。戦後は米国の統治下となり、68年6月に父島、母島と共に返還されたが、その後も硫黄島は火山活動などの影響で定住困難とされ、帰島が認められていない。
小笠原村は97年から年に1回、東京・竹芝と父島を結ぶ定期船での訪島事業を続けてきた。だが、船の大型化や島の隆起で接岸できなくなり、上陸しての墓参は2016年を最後に中止。渋谷正昭村長は昨年12月、再開断念を表明した。