アートのパワー 第11回 ポストダンスの火付け役:Yoshiko Chuma(コレオグラファー、 ダンサー、ザ・スクール・オブ・ハードノックス芸術監督)(大阪出身)(上)
中馬芳子は兵庫県山下村で生まれ、大阪で育った。3人兄姉の末っ子。父親は、鎖国時代にオランダ語で西洋医学を学んだ湯葉家の子孫、母親は阪急電鉄に関係する家系の出身で、茶道、生け花、盆栽などの伝統芸能をたしなんだ。大正デモクラシーの時代、モダニズムに対して進歩的な考えを持った一家だった。阪急沿線には宝塚がある。日本人でこのような生い立ちであると、旧家のお嬢様として宝塚に夢中になったとか、舞踊やバレーを習ったことからダンサーを目指したのではないかと想像してしまうが、芳子はそのようなイメージからはかけ離れていた。芳子の金沢大学教育学部在学中は、安保闘争やベトナム反戦運動が高揚しており、芳子の価値観はこの時代に培われていった。1976年特に目的もなくニューヨークを訪れた。その後、ニューヨークを中心としたポストモダンダンスシーンの火付け役として、その地位を確立する一方で、ニューヨークに留まらず世界に活躍の場を広げていった。第一線の扇動者であり思想家である彼女は、自分のパフォーマンスを分類されることを拒んでいる。中馬芳子&ザ・スクール・オブ・ハードノックス(The School of Hard Knocks)は、パフォーマンス・アート・グループとしてベッシー賞(Besse Award、正式名称「New York Dance and Performance Award」)を受賞した。彼女の革新的なコンセプトとテクニックは、マーサ・グラハム (1894-1991)やマース・カニングハム (1916-2009)、音楽、文学、マルチメディアにまたがって活動するローリー・アンダーソン(1947-)等を思い起こさせる。
渡米当時のニューヨークは、芸術・文化のすみずみまで活力と迫力に満ちており、芳子の創造性を育んだ。しかし、ニューヨークに来たのは気まぐれのようなものだったので、滞在当初はイヤー・イン(Ear Inn)でウェイトレスをしていた。イヤー・インは、1817年からハドソン川近くのスプリング・ストリートにある伝説的・歴史的バーである。元は船乗りのバーで、一時期は売春宿、その後スピークイージー(禁酒法時代の潜り酒場)だった。70年代から80年代にかけてコンテナ船の出入港がニュージャージー州エリザベスに集中するようになってからマンハッタン島周辺の埠頭が衰退し、治安は悪いが家賃が安いのでそのようなエリアに住むアーティストたちのたまり場になっていた。そんな彼女がダンスに惹かれたのは、当時流行っていたディスコがきっかけだった。ディスコで大勢の客がエネルギッシュに踊る中で、彼女のとび抜けた踊りが脚光を浴びるようになった。エドウィン・デンビー(モダニズム詩人、ダンス評論家、 1903-1983)、ルディ・ブルクハルト(スイス系アメリカ人写真家、映像作家、アーティスト、1924-2019)、エリザベス・マリー(アメリカ人画家、 1940-2007)、アレックス・カッツ(アメリカ人画家、 1927- )らダウンタウンのアーティスト・コミュニティに受け入られ、自分の可能性を見出し、広げていった。 中馬芳子&ザ・スクール・オブ・ハードノックスは、1979年近代美術館のサマーガーデン、1980年ヴェネツィア・ビエンナーレ、そして1983年サン・マルコ教会で公演したパフォーマンス「Five Car Pile Up」で評価された。ザ・スクール・オブ・ハードノックスは彼女のコラボ制作グループで、その名前は、人生経験、社会経験など人生の通常ネガティブな経験から得る(時には痛みを伴う)教育を意味する俗語(しばしば正式な教育に対比される)に由来し、彼女のアートに向かう姿勢を表している。中馬芳子&ザ・スクール・オブ・ハードノックスはベッシー賞を受賞した他、国際交流基金(JF)から海外在住の日本人アーティストとして初めて助成を受けた。
2000~2004年まで、アイルランド・リムリックのダグダ・ダンス・カンパニー(Daghdha Dance Company)の芸術監督を務め、アイルランド全土をツアーし、ヨーロッパとメキシコシティの国際ダンスフェスティバルに招待された。その後、パリ・オペラ座、ダンス・アンブレラ(ロンドン)、ジェイコブス・ピロー(マサチューセッツ州)、ニューヨークのラ・ママ実験劇場クラブ、92ndストリートY、ジャパン・ソサエティ、名古屋の中古駐車場、個人のリビングルーム、ストリートなど大小様々な場所でパフォーマンスを続けている。
ラ・ママ実験劇場のエレン・スチュワート劇場、で中馬芳子&ザ・スクール・オブ・ハードノックスの「ShockWave Delay (衝撃の余震)」が上演される。
ShockWave Delay (衝撃の余震)
場所:エレン・スチュワート劇場 66 E. 4th St.(bet. Bowery & 2nd Aves.)
時間:6月1日の初演 19時30分 6月2、3、7、10日 19時30分 6月4、11日 14時00分
*6月11日の公演終了後には、募金オークションが開催される。
入場料:一般40ドル チケット購入はウェブより
https://www.lamama.org/shows/shock-wave-delay-2023
この続きは5月17日(水)発行の本紙(メルマガ・アプリ・ウェブサイト)に掲載します。
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文/ 中里 スミ(なかざと・すみ)
アクセアサリー・アーティト。アメリカ生活50年、マンハッタン在住歴37年。東京生まれ、ウェストチェスター育ち。カーネギ・メロン大学美術部入学、英文学部卒業、ピッツバーグ大学大学院東洋学部。 業界を問わず同時通訳と翻訳。現代美術に強い関心をもつ。2012年ビーズ・アクセサリー・スタジオ、TOPPI(突飛)NYCを創立。人類とビーズの歴史は絵画よりも遥かに長い。素材、技術、文化、貿易等によって変化して来たビーズの表現の可能性に注目。ビーズ・アクセサリーの作品を独自の文法と語彙をもつ視覚的言語と思い制作している。