Published by
共同通信
共同通信
広島で被爆して12歳で亡くなり、平和記念公園の「原爆の子の像」のモデルになった佐々木禎子さんが残した折り鶴の複製が、遺族からキリスト教カトリックの総本山バチカン市国に贈られることになった。ウクライナに侵攻するロシアが核の威嚇を繰り返す中、遺族はローマ教皇フランシスコに侵攻終結を呼びかけ続けてほしいと願う。
広島市出身の禎子さんは2歳で被爆後、白血病を発症。回復を祈り千羽以上の鶴を折り続け、1955年に死亡した。58年に「原爆の子の像」が建てられ、原爆犠牲者の象徴として国内外で知られるようになった。
折り鶴の複製は、遺族の手元にある現物が平和関連施設などに寄贈され少なくなったため、広島県内の企業が制作。ステンレス製で、最新技術で折り目やしわまで忠実に再現され、今年5月の先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)では各国首脳らに配られた。