津山恵子のニューヨーク・リポート
Vol.13 日本食シェフが足りない!100年超かけて定着、ブームに
「日本人シェフを探しています!誰か知りませんか?」
という話がこの2カ月で3回もあった。レストラン業界とは無縁の物書きに聞いてくるほどだから、かなり深刻だ。知り合いのシェフらに尋ねるが、「今、日本料理界隈は、人手不足のレストランばかりで、いるわけないっしょ」「自分も休みが取れなくて、シェフが欲しいですよ!」と悲鳴ばかり。
ヘルシーでエキゾチックな日本食のブームは今に始まったことではない。しかし、今、ニューヨークでは何度目かの新たなブームに突入したと感じている。
第1に、パンデミック後に数が増えた。それだけに競争も熾烈だ。そこで、カワイイ寿司レストラン「Sushidelic」のような一風変わった店も出現した。人気アーティスト、セバスチャン増田氏がデザインし、店内はピンクのカワイイものであふれ、差別化を図る狙いだ。高級寿司屋では「おまかせ」という言葉も英語として定着した。
ニューヨークで初の日本食レストランとされるのは、桑山仙蔵氏が1914年開店した「都」だ。戦前にすでにあったことになる。日本人、アメリカ人双方に評判で成功した。桑山氏は、日本食スーパーマーケットも始めた。しかし、地下室の味噌、醤油、たくあん、漬物の「異臭」が、4階にまで突き抜けると苦情が出て、店を移転したという。
インターネットもなく、日本料理が全く未知のものだった、しかも、素材の匂いが嫌われていた時代から100年超。今やシェフ不足という事態だ。醤油や寿司酢、海苔、そばなどは、近所のヒスパニック系スーパーでさえ、複数のブランドを並べている。
過日、近所のカクテルバーでラーメンのポップアップが評判と聞いた。現場に行くと、近所に住む友人で俳優の松坂龍馬さんが、歩道に出した簡易デスクで麺をシャシャッと振っていた。デスクの上にヒーターと鍋、トッピングの容器が並び、夏祭りの屋台のようだ。注文したのは、豆腐を使ったベジタリアン冷製麺。連れて行ったドイツ人、ユダヤ人、ヒスパニック系の友人がその味にパッと笑顔になった。
松坂さんは、7年かけて脚本を書いた「SAMURAI OF BLUE EYES」をオフブロードウェイで2024年に上演するため、駆け回っている。日米ハーフの日本軍人を主人公にしたもので、「この麺1杯が、オフブロードウェイにつながる」と思うとさらにコクが増す。「ラーメンビジネス✖️舞台製作と好きなことをやりながら、ニューヨークで生き抜いています」と松坂さん。
それも100年以上かけて、ラーメンを含む日本食が、先人のおかげで定着し、人々に笑顔をもたらすまでになったおかげだ。暑さを忘れるいい夕餉だった。
(参考:松井剛・一橋大学教授「ニューヨーク市における日本レストランの歴史」)
(文と写真 津山恵子)
津山恵子 プロフィール
ジャーナリスト。ザッカーバーグ・フェイスブックCEOやマララさんに単独インタビューし、アエラなどに執筆。共編著に「現代アメリカ政治とメディア」。長崎市平和特派員。元共同通信社記者。