創刊20周年特別企画
日本人コミュニティを彩る人々
ニューヨークの日本コミュニティは、歴史的に日本人・日系人を支援しようとするはかり知れない苦節や活動から、今日の平和な生活を手にした。それを維持するために今も働き続ける人々にスポットライトをあててみた。
ジャパン・ソサエティー(ニューヨーク)
理事長
ジョシュア・W・ウォーカー
ジョシュア・W・ウォーカー
日本で育ったバイリンガル。政治リスク分析会社ユーラシア・グループのグローバル戦略イニシアチブ及び日本サミット統括を経て、2019年12月からJS理事長。
過去から学び、将来につなげる
日本独特の包括的文化をNYに
―新型コロナウイルスによるパンデミックの影響が3年間続きました。
ウォーカー「パンデミックで私たちは、多くを学びました。例えばジャパン・ソサエティー(以下JS)は116年の歴史があり、建物は築52年で、ニューヨークで最初の日本人建築家が手掛けました。私たちはそうした物理的に存在するものがいかに尊いか思い知ったのです。アート、ビジネス、教育プログラムまで、JS以外のほかでは体験できないことに出会えるのが大切です。ただ、パンデミック前に比べて、物価上昇が激しく、日本の人々の招聘コストはかつての30%増しです。しかし、私たちは非営利法人(NPO)なので、過去10年以上、チケット代などは引き上げてはいません」
「一方で、日本語の学習クラスは、ZOOMのお陰でニューヨークにいる人だけでなく、どこからでも学べるようになりました。では、日本語を学んだ人たちをどうやって次の日本を理解するレベルに導くのか、というのもJSの出番です。アニメは大人気ですが、日本映画は露出の機会がアニメほどではなく、映画祭『ジャパン・カッツ』は、そうした面を強化してきました」
―日本人コミュニティに変化はありますか。
「劇的に変わりました。以前は、日系の大企業の存在が目立っていましたが、テキサス州などに移転していきました。パンデミックの間は、アジアン・ヘイト・クライムの影響も受けました。しかし、ニューヨークはアメリカの1都市ではなく、グローバルな都市で、金融、文化、(国連など)グローバル外交の中心です。JSは、日米の2国間関係だけでなく、ニューヨークにあるグローバルな団体として機能すべきです。だから、私たちは一般的なアメリカ市民と、そして日本が好きな市民という異なる層の両方に対して働きかけているのです」
―日本に対する見方も変化しました。
「日本は1980年代にアメリカで莫大な投資をして、貿易摩擦と日本叩きの間、多くのあつれきを引き起こしました。今は、中国やインドの台頭を前に、ジャパン・パッシングの時代です。しかし、日本の強大な力は、文化とその歴史にあります。私たちは過去から学び、将来を見通していかなければなりません。日本のベストの部分を学び、この場所を使ってデジタル時代にどう結びつけていくのか、というのが現在のJSの使命です」
―使命に今日的な意味が加わっていますね。
「日本とアメリカを結びつけることは、使命ですが、それならワシントンにいればいいのではないかと言われます。ニューヨークは、グローバルな都市なので、ここで日本のストーリーを発信すれば、日本、そして世界にとてもその恩恵がもたらせると信じています。例えば、アメリカ南部に行くと、揚げ物や甘いドリンクのローカル文化をよく勧められます。日本はそうではなく、この人はお蕎麦が好きだが、緑茶は苦手のようだ、では他に何でおもてなししようか、というアプローチです。そうしたインクルーシブ(包括的)な手段や方法は、西側諸国やそのリーダーシップにとっても非常に重要です」
―JSの課題として、若い人にどうアピールしたいですか。
「日本の伝統的な文化は、一目で日本のものだと分かるので紹介はしやすいです。でも、JSでのアート、文化、ビジネス、政策などの教育分野は、時代を超えたプログラムになっていると思います。一方で、JSに来て、日本のものの豊かさについて学びたいという人は何百万人もいます。その意味で、ウェブサイトからSNSまでデジタルネイティブであるべきです」
―具体的に成功したプログラムについて教えてください。
「JSの強みとしては260人収容できるシアターがあり、日本からニューヨークに来るアーティストの多くがここを通過していきます。また今年は毎月アニメを上映し、『シン・仮面ライダー』のプレミエも行いました。7月26日のジャパン・カッツのオープニングは、『THE FIRST SLAM DUNK』で、全く異なるオーディエンスが殺到しています」
「また、子供のための日本語クラスでは、彼らは目的があって参加しているため、漫画を使ったりします。子供の日の行事では折り紙を教えますが、例えばポケモンは折れるだろうか、つまりポップカルチャーと結びつけるのを忘れないようにしています」
(文と写真 津山恵子)