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共同通信
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太平洋戦争後期に沖縄を出港した学童疎開船「対馬丸」が鹿児島県沖で米潜水艦に撃沈され、1500人近くが犠牲になって79年となった22日、那覇市の碑「小桜の塔」で生存者らが出席し、慰霊祭が開かれた。新型コロナウイルス禍で見送られていた一般参加も4年ぶりに受け入れる。
対馬丸は1944年8月21日、長崎に向け那覇を出港。翌22日夜、鹿児島県・トカラ列島の悪石島沖で米海軍潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没した。対馬丸記念館によると、国民学校の学童や広島が拠点だった陸軍船舶砲兵ら計1788人が乗船したとされ、判明している犠牲者数は1484人。