返せぬ亡き母の恩、社会に

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共同通信
自身が運営する学習塾で指導する山口真史さん=8月、奈良市

 強くあるためだったのか、母は結婚指輪を海に投げた。日本人28人を含む乗客乗員全269人が死亡した1983年9月の大韓航空機撃墜事件から40年。乗客だった父を失った兵庫県西宮市の山口真史さん(42)は、1人で子育てに奮闘した亡き母へ恩返しできず、後悔が募るが「その分社会に貢献したい。それが自分を育ててくれた意味だと思う」と語る。

 83年9月1日。奈良県の住宅設備会社に勤めていた父正一さん=当時(32)=は米国出張からの帰国途中だった。予定していた便をトラブルで変更。ニューヨーク発ソウル行きの大韓航空007便に搭乗し、機体はサハリン上空で領空侵犯を理由にソ連軍に撃墜された。遺体は戻らなかった。

 山口さんは2歳。父がいない生活が普通で、写真もほとんどなかった。母真貴子さん=死亡時(66)=に尋ねても「飛行機事故で亡くなった」と言うだけで、あまり話したくないように見えた。「父のことを考えるのはしんどかったと思う」と山口さんは振り返る。