アートのパワー 第19回
二人の女性アーティスト ルイーズ・ブルジョワ(上)
ニューヨークでは、9月から5月にかけて重要な展覧会が開催されると言われている。十分な展示機会に恵まれていなかった女性アーティストの個展も、この時期に見られる時代になった。美術史に登場する女性作家は少ない。20世紀後半になっても少ないままで、社会構造のためだとか、男女間の性差のため、などと説明されてきた。
今回は二人の女性アーティストの個展を考察した。どちらの女性も、家族を持ちながら、20世紀から21世紀にわたる長い生涯をかけて独自の領域を切り拓き、美術史に名を残してきた。一つは、ルイーズ・ブルジョワ(Louise Bourgeois)の個展『Once There Was A Mother』で、主に彼女が90歳になってからの作品に焦点をあてている(チェルシーのハウザー&ワース画廊 433 West 18th Street で 2023年12月23日まで開催)。もう一つは、ルース・アサワ(Ruth Aiko Asawa)のドローイングを中心とした個展『Ruth Asawa Through Line』で、ホイットニー美術館で2024年1月15日まで開催される。 ルイーズ・ブルジョワ(1911-2010)は、フランス・パリ出身のフランス系アメリカ人一世で、彫刻、インスタレーション、絵描、版画、ファブリック・アーチストとして幅広い分野で独特の表現を展開した。
ブルジョワの両親は、中世やルネサンスの タペストリーを修復する工房とタペストリー・ギャラリーを営んでいた。絵がうまかったブルジョワは11歳の時から修復を手伝うようになった。タペストリーに描かれた人物の擦り切れた足や欠損した体の一部を刺繍職人が修復できるよう、そのスケッチを描くのが彼女の仕事だった。母親が色とりどりの糸を織りなし、タペストリーを修復するのを見て育った。両親は、彼女と姉・弟に英語を学ばせるために、住み込みのイギリス人の家庭教師を雇っていた。ソルボンヌ大学で数学、幾何学、哲学を学んだが、在学中に母親が亡くなり、美術の道を志す。卒業後パリのいくつかの美術学校で学び、ルーブル学院(Ecole de Louvre)ではルーブル美術館で英語のガイドを務めることで学費が免除されていた。学校に通うかたわら、芸術家のアトリエを訪ねて直接創作過程を学び、当時パリで名を上げていた大勢のアーティストと知り会った。しかし、男性中心の美術界に絶望し、1938年に父親のタペストリー・ギャラリーの隣に自分の画廊を開き、マチス、 シュザンヌ・ヴァラドン(Suzanne Valadon:ロートレック、ルノワールらの画家のモデルを務めながら独学で絵を描き始め、ドガに師事した。モーリス・ユトリロの母親)等の絵を展示した。同年、顧客の一人だったアメリカ人美術史教授ロバート・ ゴールドウォータと結婚し、ニューヨークに移住した。息子3人(うち1人は養子)の5人家族で、1973年にゴールドウォータが亡くなるまで添い遂げた。
当時のパリは、第二次世界大戦前の混乱期で、多数の芸術家がアメリカに移住していた。ブルジョワは、ニューヨークでもアートスクールで学び続け、自分の表現を追求し続けた。当時はゴミ捨て場のスクラップや流木を使った縦長の作品を、アパートの屋上で創作していた。1945年にペギー・グッゲンハイムの『Art of This Century』 で、14名の女性アーティストの作品を集めた『The Women』の一人に選ばれた。しかし、“女性による展覧会”と銘打ったことが、かえって男性中心の美術界で女性をすみ分けされる結果となってしまった。
シュルレアリスムのアーティスト達のように精神的な課題を取り上げ、思考の真の動きを表現しようとした。彼女の最大のテーマは、捨てられること(abandonment)への恐怖感――子供の時に父親から受けた虐待と英語家庭教師との間で10年間続いた父親の浮気等、肉親から受けたトラウマ(深い傷)――に根差していた。フロイド派の精神分析医に通いながら、作品を通して女性の脆弱性、性、裸体、男女、母性、出産、孤独さ、罪悪感、などを表現した。60年代にはプラスターと当時の新素材ラテックスを実験的に使用し、60年代末からイタリアのピアツラサンテ(Pietrasanta)で大理石やブロンズの作品を制作した。ブルジョワ自身はフェミニストではないと言い続けたが、フェミニズムの波が高まると共に、彼女の作品が知られるようになった。
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文/ 中里 スミ(なかざと・すみ)
アクセアサリー・アーティト。アメリカ生活50年、マンハッタン在住歴37年。東京生まれ、ウェストチェスター育ち。カーネギ・メロン大学美術部入学、英文学部卒業、ピッツバーグ大学大学院東洋学部。 業界を問わず同時通訳と翻訳。現代美術に強い関心をもつ。2012年ビーズ・アクセサリー・スタジオ、TOPPI(突飛)NYCを創立。人類とビーズの歴史は絵画よりも遥かに長い。素材、技術、文化、貿易等によって変化して来たビーズの表現の可能性に注目。ビーズ・アクセサリーの作品を独自の文法と語彙をもつ視覚的言語と思い制作している。