津山恵子のニューヨーク・リポートVol.20
コミュニケーションが薄い東京
席が譲れないのはなぜ?
日本に約1カ月滞在していた。鎌倉の実家で両親と過ごし、東京で仕事をし、ニューヨークに戻ってきた。翌朝、クィーンズの近所を歩いて驚いた。鎌倉や東京に比べて、俄然活気とふれあいがある。アパートを出た途端、近所の人が「How are you?」と聞いてくる。「ご両親はどう?」「元気」「God bless!」と、両親についてひとしきり聞かれる。ラティーノの男性2人が道ですれ違い、背中をパンパンと叩いて挨拶している。通りすがりの中学生の男子が「いいコートだね」と話しかけてくる。
これに比べると、東京にいかに人口が集中していようとも、無味な感じがする。もちろん、文化の違いはある。知らない人にいきなり「素敵なコートですね」と言うのは、ちょっと変な人だと思われるだろう。会釈はしても、ハグしたり、肩を叩いたりはしないので、ビジュアルにも派手ではない。でも、もっと気の利いた、お互いに配慮したふれあいがあってもいいのではないか。
駐日ジョージア大使のティムラズ・レジャバさん(35)が6月、電車の優先席に座った写真をXに投稿したところ、SNSで議論を呼んだ。優先席が空いていたので座ってみた、という内容だったが、「優先席だぞ、そこ」「自分から譲ってとは言いづらい」ため空けておくべきという意見が相次いだ。一方で、「空いていたら座ってもいい」とレジャバさんに同調する人もいた。
この「炎上」について、レジャバさんは朝日新聞のインタビューでこう語った。「間違ったことをしていないのに、どうして非難されなければいけないのだろうと、理解できませんでした」
さらに優先席については「必要としている人が来たら、譲ればいい。それだけの話です」とも。優先席は座るべきではない、という支配的なルールは、自分が座っていて、必要な人に譲る勇気や配慮がなかった場合の気持ちの負担を減らしているに過ぎない、と主張する。
ではなぜそうなるのか。レジャバさんは「現代の日本社会を象徴していると感じました。人間同士のつながりが希薄になり、席を譲り合う時に生じるコミュニケーションを『面倒くさい』と敬遠しているんだと思います」と語る。
今回、福岡に旅した時は、人々が席を譲っているのを見た。活気もあった。しかし、東京では見たことがないばかりか、子供連れに譲ったつもりが他の人が座ってしまったことさえある。「面倒くさい」か、配慮がない、あるいは無視したい、というのがはかり知れる。
でも、「どうぞ」と相手を思う小さなコミュニケーション、それが生活の潤滑油になる。それが東京では必要になってきている。ニューヨークは少々大袈裟だがそうしたコミュニケーションは豊かだ。生活に息づいていて、活気につながっている。
津山恵子 プロフィール
ジャーナリスト。ザッカーバーグ・フェイスブックCEOやマララさんに単独インタビューし、アエラなどに執筆。共編著に「現代アメリカ政治とメディア」。長崎市平和特派員。元共同通信社記者。