連載1114 負けがわかっていても突き進む
大阪万博は「インパール作戦」「本土決戦」なのか? (下)
(この記事の初出は2023年10月10日)
大失敗に終わっても誰も責任を取らない
まだ、2025年4月の大阪万博の開幕まで、約1年半がある。万博は184日間開かれ、10月13日に閉幕する。それまでは、失敗は確定しないから、責任を問う声は大きくは起こらないだろう。
ただし、失敗が確定したとしても、日本というシステムのなかでは、誰も責任を取らない。壮大な税金の無駄遣いと日本の国際的な地位の低下を招くにもかかわらず、岸田首相はもとより西村康稔経産相などの国家の幹部も、維新の馬場代表も吉村洋文共同代表も、そして万博協会の十倉雅和会長(経団連会長)も、みな逃げ切ってしまうだろう。
万博の失敗確定を待たずに、岸田首相は総選挙をやって、自ら首相の座を降りてしまうという“奥の手”もある。
東京五輪の失敗の責任を誰が取ったというのだろうか? コロナ禍だったので仕方ないで、莫大な税金の浪費は見逃されたのではないだろうか。
それ以前に、日本の国会は、過去の失敗を調査して未来への教訓とする「調査委員会」なるものをつくろうとしない。議会には行政を監視する役割があるのに、自民党の一党支配が続いたため、この役割はうやむやにされてしまった。英米の議会とは雲泥の差である。
日本人自身の手で「戦犯」を裁くべきだった
日本の政治システムは、もともと責任を取らないシステムである。それは、戦前からずっとそうである。インパール作戦を指揮した15軍司令官・牟田口廉也は、その後、陸軍予科士官学校長に“栄転”している。東京裁判でも裁かれなかった。これは当然で、東京裁判は日本の「連合国に対する罪」を裁くものだったからだ。
東京裁判があったために、「戦犯」は裁かれたと誤解している人も多いと思うが、本来なら、日本の指導層が犯した「日本国民に対する罪」は、日本人自らが裁かねばならなかった。
東京裁判後に、民主対体制になった日本政府は、国会内に追及員会をつくり、独自に戦争犯罪を裁くべきだった。戦前の指導層は、無用な戦争と誤った作戦により、多くの貴重な若者を死なせ、戦争を長引かせたのである。これを追及しないほうがおかしい。
しかし、この当然のことをしなかったため、日本の無責任システムは、日本社会の病気としていまも続いている。
(つづく)
この続きは11月21日(火)発行の本紙(メルマガ・アプリ・ウェブサイト)に掲載します。
※本コラムは山田順の同名メールマガジンから本人の了承を得て転載しています。
山田順
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。主な著書に「TBSザ・検証」(1996)、「出版大崩壊」(2011)、「資産フライト」(2011)、「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)、「円安亡国」(2015)など。近著に「米中冷戦 中国必敗の結末」(2019)。