アートのパワー 第23回 ジェフ・ロスタイン(Jeff Rothstein)、 東ヨーロッパ系(3世)アメリカ人。 ブルックリン生まれのストリート・フォトグラファー(上)

アートのパワー 第23回
ジェフ・ロスタイン(Jeff Rothstein)、 東ヨーロッパ系(3世)アメリカ人。 ブルックリン生まれのストリート・フォトグラファー(上)

 

ジェフの祖父母は20世紀初頭にニューヨークにやってきた移民だった。父方の祖父はポーランドから一家をあげて移住した。母方の祖父は子供の時にミンスクからの移民で、祖母はロウアーイーストサイドのへスターストリートで育った。ジェフの両親はどちらも、主にユダヤ系住民が住むブルックリン・ブラウンズビル(Brownsville)に住んでいた。父親は、ブルックリンの労働者の食堂のオーナーで、母親はニューヨー市教育員会配下の監督官を20年間勤めた。  

ジェフはブルックリンで生まれ育ち、ロングアイランド大学ブルックリン校に進学、ジャーナリズムを専攻した。大学では写真講座も受講したが、写真はほぼ独学で学んだ。ポップフォト誌と、モダン・フォトグラフィー誌を熱心に読み、ライフ誌の出版社から発売される『ライフ・ライブラリー・オブ・フォトグラフィー』シリーズのほとんどの巻を購入していた。「ライフには触発された。写真という媒体の基本と歴史を学んだし、多くの偉大な写真家や作品を知ることができた」。ロバート・フランク(Robert Frank、1924-2019)、ソール・ライター(Saul Leiter、1923-2013)、シルビア・プラヒー(Sylvia Plachy、1943-)、ギャリー・ウィノグラン(Garry Winogrand、1928-1984)、アルフレッド・スティーグリッツ(Alfred Steiglitz、1864-1946)らの写真集はいつも手繰っているという。「彼らはそれぞれ独自の方法でこの街をとらえているんだ」。  

ブルックリン在住時から、地下鉄に乗ってマンハッタンに出かけ、35mmカメラで主にダウンタウンを白黒で撮影した。広告代理店に勤めた後、出版社に転職し20年間勤務し、2010年に退職した(どちらも9時から5時の仕事で、写真関係ではなかった)。その間、そして今日に至るまでジェフは50年間マンハッタンの写真を撮り続けている。

 

(John & Yoko) 1971 / Photographs used with permission
(Kusama) 1998 / Photographs used with permission

写真を撮り始めた頃は、ユダヤ系家族の歴史を彷彿させるロウアイーストサイドに引かれた。また当時は、ロック・コンサートやスポーツ・イベントでも撮影していた。1971年6月、ジョン・レノンとオノ・ヨーコがWPLJラジオのインタビューを受けた。ビートルズとレノンの熱烈なファンだったジェフと友人のエディーが、一目会いたい(ジェフは写真を撮りたい)とラジオ局に行くと、ジョンとヨーコはリムジンで去るところだった。すぐにタクシーに飛び乗り、「あの車を追ってくれ」と運転手に言った。ビートルズは前年に解散し、当時はジョンもヨーコも未だニューヨークに住んでいなかった。リムジンが止まったブロードウェイ1700番地(アップル・レコード)で、ジェフもタクシーから飛び降り、二人がエレベーターに消えるまでシャッターを押しまくった。いい写真を撮るための構図など考える余裕もなく、頭にあるのは「ジョン・レノンが目の前にいる」ことだけ――「パパラッチ」をしたのは、後にも先にもこの時だけだった。友人のエディーとは毎年この大冒険の記念日を祝っているという。  

ジェフと一緒に35年間マンハッタン・ウェストヴィレッジに住んでいる妻の富井玲子さんは、英語圏に戦後日本美術史を紹介し、その学識で尊敬を集める日本現代美術史家の一人だ。彼女は、1973年にニューヨークを離れた草間彌生を、アメリカで再評価させ、草間がニューヨークで大ブレイクするきっかけとなった1989年国際現代美術センター(CICA)での『草間彌生回顧展』を実現したチームの一人でもある。上級研究員として初めて作家の個人アーカイヴを調査、その後の展覧会でも使用される基本資料となっている。ジェフも草間彌生を長年知っていて、1998年MoMAでの『Love Forever: Yayoi Kusama』展関連イベントで、ポスターにサインしている草間を傍で撮影した。

この続きは11月29日(水)発行の本紙(メルマガ・アプリ・ウェブサイト)に掲載します。
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文/ 中里 スミ(なかざと・すみ)

アクセアサリー・アーティト。アメリカ生活50年、マンハッタン在住歴37年。東京生まれ、ウェストチェスター育ち。カーネギ・メロン大学美術部入学、英文学部卒業、ピッツバーグ大学大学院東洋学部。 業界を問わず同時通訳と翻訳。現代美術に強い関心をもつ。2012年ビーズ・アクセサリー・スタジオ、TOPPI(突飛)NYCを創立。人類とビーズの歴史は絵画よりも遥かに長い。素材、技術、文化、貿易等によって変化して来たビーズの表現の可能性に注目。ビーズ・アクセサリーの作品を独自の文法と語彙をもつ視覚的言語と思い制作している。

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