共同通信
山形県天童市高擶(たかだま)地区で、明治時代に生産が盛んだったとされるハッカを復活させた街づくりが進む。昨春、地区の畑で栽培したハッカを使った菓子やオイルを販売する専門店が開店。住民らは歴史を学び、地域の宝として未来につなげようとしている。(共同通信=飯田壮一郎)
天童郷土研究会の野口一雄(のぐち・かずお)会長(77)によると、ハッカは中国から伝わり、岡山県や広島県から、1870年代に天童市周辺に広まった。1930年代に北海道が世界的産地になったのは、高擶地区出身の屯田兵が持ち込んだのが契機の一つと言われる。
山形での栽培は1900年代初頭から衰退していったとみられる。やがて農地の片隅で野生化し、雑草として見られるようになった。
2016年の市民講座で偶然、この歴史を知った地元農家の長谷川喜久(はせがわ・きく)さん(60)が2017年から畑の一画で栽培を始めた。地域史家に学んだり、北海道を訪ねたりもした。
高擶地区では、地元住民と、新興住宅地に転入してきた人との交流が課題の一つだ。長谷川さんは「地域に絆をもたらすツールになれば」との思いから「高擶薄荷(はっか)爽草(そうそう)の会」を立ち上げ、菓子作りの会やオイルの蒸留会を開くようになった。
山形市でデザイン会社を経営する樋田幸子(ひだ・さちこ)さん(42)は5年ほど前、長谷川さんと出会い、取り組みに魅力を感じた。自身も長谷川さんから農地を借りて栽培し、飲食業の知人らに使ってもらうようになった。
地場産品で、穏やかな香りで癖が少ないとして、好評を博した。樋田さんは、未来に残すには、商いになることが大切という考えから、専門店を企画。地区の郵便局だった建物を改装し、昨年4月、「高擶薄荷店」をオープンし、県外からも客が訪れている。
地元の小学校の授業に出向き、ハッカの歴史を教えている長谷川さん。児童の親が樋田さんの店に来てくれることもあり、好循環が生まれつつある。