日本では「知らんけど」アメリカでは「Meh」 選挙の形骸化で崩壊する民主主義 (中1)

日本では「知らんけど」アメリカでは「Meh」
選挙の形骸化で崩壊する民主主義 (中1)

(この記事の初出は2024年1月9日)

低投票率がパーティでの裏金つくりを招く

 このような無関心表現が蔓延する背景を考えると、社会の閉塞感に行き着く。もはやなにをやっても変えられない、そういう諦めムードがいまの日本では蔓延している。
 日本では、戦後長らく、総選挙の投票率は70%前後で推移してきた。それが、1996年に小選挙区比例代表並立制が導入されると、じょじょに低下し、前3回の総選挙では50%台に落ち込んだ。地方選挙では、50%を割ることもザラだ。
 国民(有権者)の半分しか投票に行かないのである。これでは、カネと組織票で選挙は勝てる。自民党の裏金問題が騒がれているが、これは、投票率の低さが引き起こした問題で、自民党は現状に過剰適応したに過ぎない。
 すなわち、投票率50%なら、その過半数、全有権者の25%を抑えれば勝てるのだとなれば、カネと組織票がモノを言う。もし、投票率が100%なら、いくらカネがあっても足りないのだから、パーティをやって裏金をつくるぐらいでは追いつかない。

「選挙に行ってもなにも変わらない」はウソ

 政治的な不祥事が起こるたびに、「選挙に行こう」ということが標榜される。メディアも選挙のたびに、繰り返し、「選挙に行きましょう。あなたの1票が政治を変えます」と言う。
 しかし、「選挙に行ってもなにも変わらない」「投票したい人や政党がない」というムードが蔓延し、投票率は低迷したままだ。
 ただし、誰も言わないので言っておくが、「選挙に行ってもなにも変わらない」「投票したい人や政党がない」というのは、メディアがつくり出したウソである。
 なぜなら、泡沫候補でもなんでもかまわらないから、与党以外の候補者に投票すれば、少なくとも現状は変わるからだ。つまり、「野党に任せられない」などということはどうでもいいのである。
 私は前から言って来たが、政党、政策などどうでもよく、ともかく誰もが女性候補、いちばん若い候補に投票すれば、ガラッと変わる。そう言うと、そんな馬鹿なことで政治家を選んでいては、政治は大混乱するだけだと批判されるが、大混乱してなにがいけないのだろうか。
 とりあえず、いまの日本に必要なのは、なにか大きく変わることだ。

(つづく)

 

この続きは2月7日(水)発行の本紙(メルマガ・アプリ・ウェブサイト)に掲載します。 

※本コラムは山田順の同名メールマガジンから本人の了承を得て転載しています。

山田順
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。主な著書に「TBSザ・検証」(1996)、「出版大崩壊」(2011)、「資産フライト」(2011)、「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)、「円安亡国」(2015)など。近著に「米中冷戦 中国必敗の結末」(2019)。

 

 

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