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共同通信
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メニコン創業者で、ハードコンタクトレンズの原型となる角膜コンタクトの実用化に日本で初めて成功したとされる田中恭一(たなか・きょういち)さんが10日午後1時35分、老衰のため死去した。92歳。愛知県出身。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は長男英成(ひでなり)氏。後日お別れの会を開く予定。
名古屋市の老舗眼鏡店に勤務していた1951年、角膜コンタクトの開発に成功した。57年にメニコンの前身の日本コンタクトレンズを設立して社長に就任、2000年まで務めた。日本コンタクトレンズ協会の会長など、業界団体の役員も歴任した。
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