ケイ・ウォーキングスティック(Kay WalkingStick、チェロキー/スコットランド・アイルランド系ハーフ、1935年生まれ) (ニューヨーク歴史協会で開催中の『ケイ・ウォーキングスティック/ハドソン・リバー派』展(展覧会は4月14日まで)について)
ウォーキングスティックの「ナイアガラ」の両脇には、女性作家ルイーザ・デービス・マイノット(Louisa Davis Minot、 1788-1858)が1818年に描いた「ナイアガラの滝」が展示されている(彼女の作品として認知されているのはこの2枚だけ)。彼女はハドソン・リバー派の女性6人のうちの一人として知られている。マサチューセッツ州司法長官の娘で、弁護士と結婚し、五人の子供を儲けた。絵を描くに至った経緯は知られていないが、彼女の腕は確かである。ヨーロッパの風景画には、ロマン主義の田園的風景画だけではなく、戦争や自然現象を描いた歴史的風景画がある。マイノットの「ナイアガラ」の背景には米英戦争(1812年戦争)がある。独立直後のアメリカと、イギリス、その植民地であるカナダ及びイギリスと同盟を結んだインディアン諸部族との間の戦いで、米英が領土を奪い合った北米植民地戦争であり、また両陣営がインディアンに代理戦争をさせたインディアン戦争でもあった。滝の激しさは自然だけでなく人間の争いを描いている。絵の右下方には人間が小さく描かれ、大自然の中のちっぽけな存在を強調している。彼女は絵だけでなく社会情勢についての記事を書いていた。19世紀初頭にこれだけ知的な女性がいたことに驚く。それだけではない。ハドソン・リバー派の創立は1825年と言われているが、マイノットの絵はその7年前に描かれたものだ。
展覧会は、ウォーキングスティックの2022年作「ナイアガラ」の収蔵を祝って企画された。上級学芸員ウェンディー・ナラーニEイケモトPhD(ハワイ先住民)とウォーキングスティックの協力により開催に至った。イケモトは1998年に準学芸員として入社、2022年に上級学芸員、そして今年2024年に主任学芸員兼副館長に昇進した。非先住民系の主要美術機関ではあまり見ない抜擢だ。多様性を試み、ウォーキングスティックの作品購入はその大きな一歩となった。「この博物館を出る時に、我々の惑星がいかに美しく、貴重であるか、そして東半球にいる人々はインディアンの領土に住んでいるのだと認識を新たにしてくれることを願っている」とウォーキングスティックは展覧会の挨拶で述べている。
この展覧会と合わせて、マーティン・スコセッシ監督の話題の映画「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン(Killers of the Flower Moon)」を見て欲しい。原作は、デヴィッド・グランのベストセラー・ノンフィクション『花殺し月の殺人 インディアン連続怪死事件とFBIの誕生(Killer of the Flower Moon: The Osage Murders and the Birth of the FBI)』。1920年代、オクラホマ州オセージ族のインデアン居留地で石油が発見され、一夜にして莫大な富を得た先住民オセージ族が次々と謎の死を遂げる事件を描いたもので、オイルマネーや石油利権をめぐる陰謀や悪事が解き明かされていく。原作の主人公はテキサス州から派遣された司法省捜査局の捜査官だが、スコセッシは実際に何が起こったのか、その時代と当時の人々を正確に描くため、主人公をオセージ族の女性にし、オセージ族の人々の協力を得て、オセージ族の文化を忠実に再現した。アカデミー賞10部門にノミネートされ、主人公役のリリー・グラッドストーンが先住民族出身の俳優として初めて主演女優賞にノミネートされた。先住民に限らず東洋人、黒人の役を白人が演じた時代があった。リリーはノミネート発表後、「とても名誉に思う」と喜びを口にしてから「なぜ私が最初なのだろう?なぜアメリカの先住民族が初めて選ばれるまでにこんなに時間がかかったのだろう?」とコメントしている。 時代の変化に正直に反応するアメリカが私は好きだ。
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文/ 中里 スミ(なかざと・すみ)
アクセアサリー・アーティト。アメリカ生活50年、マンハッタン在住歴37年。東京生まれ、ウェストチェスター育ち。カーネギ・メロン大学美術部入学、英文学部卒業、ピッツバーグ大学大学院東洋学部。 業界を問わず同時通訳と翻訳。現代美術に強い関心をもつ。2012年ビーズ・アクセサリー・スタジオ、TOPPI(突飛)NYCを創立。人類とビーズの歴史は絵画よりも遥かに長い。素材、技術、文化、貿易等によって変化して来たビーズの表現の可能性に注目。ビーズ・アクセサリーの作品を独自の文法と語彙をもつ視覚的言語と思い制作している。