共同通信
太平洋戦争後にフィリピンに残された日系2世の日本国籍回復を日本政府として支援する動きがようやく本格化している。2024年で戦後79年。在フィリピン日本大使館の花田貴裕総領事は存命者を1人ずつ訪ねて面接を実施。「今日まで訪問できなかったことを心からおわびします」と語り、日系人らの苦難に寄り添う自身の気持ちを伝えている。(共同通信=佐々木健)
▽父の素性を隠した母
花田氏の言葉を日系2世の上原マリアトミコさんはタオルで目頭を拭い、目を潤ませて聞き入った。「私を日本人として接してくれたことがとてもうれしい」。既に83歳。あまりに長く待ち続けてきたため、日本人として認められる希望を失いかけていたという。
花田氏が訪れたのはリナパカン島。パラワン島北部エルニドから車で1時間、小船で3時間半かけてたどり着くへき地だ。各集落を結ぶ道路は整備が遅れ、小船が接岸できる埠頭も限られ、停電が頻繁に起きる。
花田氏は、戦後の反日世論の中、多くの2世が「日本人と名乗り出ることもできず、離島や山奥で困窮生活を余儀なくされてきた」と同情を寄せた。マリアトミコさんは「母は恐怖心から、私たちが日本人の血を引いていることを隠し、父について話そうとしなかった」と打ち明けた。
▽どこであっても会いに行く
島内の別の集落に住む妹エステルトヨコさん(80)は2024年2月に日本国籍回復が認められたが、マリアトミコさんが後に続けるとは限らない。姉妹関係や自らの出生を証明する書類がないからだ。
支援団体は、2023年12月に2世2人が初訪日して沖縄県の親族と念願の対面を果たした例を挙げ、存命の希望者全員が訪日し親族を捜せるようにすべきだと訴える。姉パムフィラさん(87)は「日本のどこであっても、親族に会いに出かけたい」と花田氏に陳情した。
▽50人以上と面接
島で花田氏は別の家族を含め5人の2世と面接した。遠く点在する集落4カ所を船で回るのは大変だ。初日は日没時に聴取を終え、夜間航海の末、午後8時過ぎにやっと宿舎に着いた。
フィリピンでの本格的な2世面接は石川義久駐ダバオ総領事が2022年に南部ミンダナオ島で着手。支援団体によると、これまで50人以上が総領事面接を受けた。総領事は状況に応じて日本の家裁に提出する報告書も作成し後押ししてきた。
2世は80~90代が中心で、花田氏は「日本への思いを抱きながら、思い半ばで亡くなられた方も少なくない」と指摘。「一人でも多くの日系人が一日も早く国籍を回復できるよう最大限の支援をしたい」と語った。