トップNEWSDAILY CONTENTSアートのパワー 第35回 メトロポリタン美術館で『ハーレム・ルネサンスと大西洋を越えるモダニズム』展(4)The Harlem Renaissance and Transatlantic Modernism(7月28日まで)
2024.07.05COLUMNDAILY CONTENTSNEWSアートのパワー
アートのパワー 第35回 メトロポリタン美術館で『ハーレム・ルネサンスと大西洋を越えるモダニズム』展(4)The Harlem Renaissance and Transatlantic Modernism(7月28日まで)
サウス・カロライナ州出身のウィリアムH.ジョンソンWilliam H. Johnson 1901-1970は、17歳の時にハーレムに移住した。アフリカ系アメリカ人の大移動の一人である。おじがマイアミ・ニューヨーク間のプルマンカーのポーター (モトリーの父親と同じ)で、ハーレムに住んでいた頃はおじの世話になった。早くから画家になる決心をし、港湾労働者、コック、ポーターの仕事をしながらニューヨークのナショナル・アカデミー・オブ・デザイン で学ぶための月謝を稼いだ。
13年間海外で暮らし、モダニズムのスタイルで絵を描いたが、帰米後はアフリカ系アメリカ人の文化と伝統に没頭し、民芸風の素朴さを特徴とする絵画を制作した。南部出身のジョンソンは、「自分と同じ人々(his own people)」を描きたいといい、南部の田舎町で育った自分の生い立ちやアフリカ系アメリカ人の日常生活を記録した。アラン・ロック は「芸術において黒人をテーマや主題とする上で極めて重要な芸術的表現は、固定観念を打ち破り、新しいスタイル、独特の新鮮な技法で、ある種の特徴的な作風を生み出さなければならない」と書いている(Met catalog “The Legacy of the Ancestral Arts” in The New Negro: An Interpretation)。
ジョンソンは1944年に妻を乳癌で失い、1947年に精神障害で入院、1970年に亡くなるまで23年間ロングアイランドの州立病院で過ごした。1955年を最後に絵を描くことはなかった。彼の生涯の作品は、1957年介護人がこれ以上は保管費を払えないと宣告し、処分されるところだったのを、友人達がハーモン財団に連絡し、財団が引き取った。しかし1967年財団は閉鎖し、ジョンソンの全作品はスミソニアンに寄贈された。スミソニアンアメリカ美術館では、ジョンソンの『 自由の闘士たち: 正義を描くウィリアムH.ジョンソンFighters for Freedom: William H. Johnson Picturing Justice』展が9月8日まで開催されている。