Published by
共同通信
共同通信
【カウラ共同】太平洋戦争中の1944年、オーストラリア東部カウラの捕虜収容所から日本兵が集団脱走を図り、日豪の兵士計235人が死亡した事件が起きてから5日で80年となった。現地では4日から5日にかけ追悼行事が行われた。カウラ市は事件をきっかけに日本との草の根の交流を深め、日本庭園や桜並木も整備。戦後の日豪の和解を象徴する地になっている。
5日は発生時刻の午前2時前に合わせ、収容所跡地で当時を振り返る行事を実施。日本兵の脱走を知ったオーストラリア軍が周囲に異変を知らせたとされる照明弾を、南半球の真冬の夜空に打ち上げた。日本人捕虜によって収容所が放火される様子も再現された。
日本兵は「生きて虜囚の辱めを受けず」との戦陣訓に従い、ラッパを合図に脱走を試みた。
5日の追悼式典には、元日本人捕虜の親族らが出席。オーストラリア側からは、カウラで結婚式を挙げる当日に脱走事件に遭遇したグウェン・ダウンズさん(100)も参加し「その夜、日本人捕虜が線路に飛び込んで自殺し、列車が立ち往生した」と回想した。