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共同通信
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長崎原爆で重傷を負いながら被爆者救護に尽力した医師永井隆博士(1908~51年)の古里・島根県雲南市で住民たちが、博士に関するガイドブックを作成するなど情報発信に力を入れている。平和を強く希求しながら43歳で早世した博士の足跡を後世に伝えたいとの地元の思いがある。
7月17日、同市三刀屋町飯石地区。博士が1歳から小学校卒業まで育った家で、近隣市から訪れた見学者を案内する須山弘二さん(70)=同地区=の姿があった。
博士は温和な性格で地元では「隆さん」と慕われていた。家の居間に掲げられた「以愛接人」(愛をもって人に接す)は医師をしていた父・寛さんの信念で、夜中でも急患の往診に出かけた。
原爆で妻を失った博士は幼い2人の子どもを残して死去するまで「如己愛人」(己のごとく隣人を愛せよ)の精神に基づき、執筆活動などを行った。その信念は「親の背中を見て育まれたのではないか」と須山さんは思いをはせる。
博士が暮らした「永井隆博士おいたちの家」は、地域で活動する団体「雲見の里いいし」が管理している。