この記事の初出は2024年7月30日
京都がつくった「おもてなしポケットガイド」じつはたいして稼げていない観光産業
観光ガイドが、外国人観光客に「おもてなしは日本の伝統文化です。だから、日本ではレストランでもホテルでも、チップを払う必要はありません」と説明しているのを聞いて、疑問に思ったことがある。
私の親は、旅館に泊まれば、部屋に来た中居に必ず“心づけ”を渡していた。だから、私もそうしてきた。日本にもチップを払う習慣はあるのだ。
伝統文化とされ、昔から言われてきた「おもてなし」は、お客を心からもてなすことで、観光業、飲食業のサービスとは違うものである。それをいっしょにしてしまったことで、日本のオーバーツーリズム問題は深刻化してしまったと言えるだろう。
実際、東京オリンピックの招致に成功すると、観光庁は「おもてなし」を観光促進の目玉として、数々のキャンペーンを行った。地方自治体でおもてなし向上のための取り組み事業を行うと、それを支援するようになった。
東京都では、“国内外から多様な旅行者”を迎えるための「おもてなしポケットガイド」をつくった。その表紙には「私たちにできること」という題字が書かれおり、報道発表資料には、《「私たちにできること 私の声かけで、東京をおもてなしの街にする」を作成しました》と書かれていた。
「おもてなし」は「犠牲」で成り立っている
観光業でのサービスを「おもてなし」と称して無償で提供するということは、その分を従業員にタダ働きさせているのと同じことである。
いくらいい接客をしようと、それに見合った報酬がなく、チップももらえないということは、「おもてなし」は「こころ」ではなく「犠牲」で成り立っていると言えるのではないか。
「おもてなし」と同じく、日本の接客業でよく言われるのは「お客さまは神様」である。これも、「おもてなし」と同じく従業員に犠牲を強いることにつながる。
日本の接客業は、人件費を絞って、できる限り安い時給で雇用し、そのうえでお客に対しては、いつも笑顔でていねいに接することを要求する。これでは、本当の「おもてなし」とは程遠く、なにより接客のプロなど生まれるわけがない。
しかも、サービスが無償ということは、客側はそれを当然だとして思い上がり、一部の客は「カスハラ」化してしまう。
日本もチップ制度を導入してはどうか?
世界には、チップがない国も多いが、チップがある国では、接客業のレベルが高い。より良いサービスをすることで、高い収入が得られるからだ。
チップ文化が厳然と存在しているアメリカでは、チップを一定額以上稼ぐレストランやホテルの従業員には、最低時給は適用されない。最低時給の半分以下ぐらいの時給しか適用されない。こうしたシステムより、サービスはプロ化してレベルが上がる。
ただ、なんでもかんでもチップを取られることに客側の不満が募り、最近は、物価高で「チップ不要論」が高まっている。チップ不要論はこれまで何度もあり、たとえば、NYでは「USHG」(ユニオン・スクエア・ホスピタリティー・グループ)のレストランや、和食の「モモフク」「大戸屋」などでは廃止された。しかし、その分、メニューの単価を上げることになったりして、「モモフク」「大戸屋」では復活した。
チップはサービスの対価だから、提供側にも提供される側にも必要なのだ。
最近はタブレット端末、ロボット導入などで、サービスは無人化された。それでもアメリカではチップを取られる。
たとえば、タブレット端末を通じて会計する際に、チップの加算画面が表示されて、金額を打ち込むように促される。機械にチップを払うのかと思うが、慣習なので仕方なく払う。
そこで思うが、日本の接客業もチップを取るようにしたらどうだろうか?
そうすれば、オーバーツーリズム問題は、少しは改善されるだろう。(了)
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山田順
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。主な著書に「TBSザ・検証」(1996)、「出版大崩壊」(2011)、「資産フライト」(2011)、「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)、「円安亡国」(2015)など。近著に「米中冷戦 中国必敗の結末」(2019)。