パリ五輪の熱狂の裏にある、メダルはカネと遺伝子で決まるという真実 (中)

この記事の初出は2024年8月6日

なぜフェンシングは5個もメダルを獲れたのか?

 では、ここからは、2つの視点でパリ五輪を振り返ってみたい。1つは「カネ」、もう1つは「遺伝子」である。前記したように、今回の競技は32競技329種目なので、金メダルはなんと329個ある。銀銅合わせれば1000個を超える。
 このインフレ化したメダルを、各国、個人はカネの力で取りにいっている。その1つが、国よる補助金、強化費である。
 たとえば、個人でも団体でも金2つを含むメダル5個を獲得した日本のフェンシング。この結果は偶然ではない。
 スポーツ庁が支援する重点支援競技で、フェンシングは、柔道、レスリング、体操と並んで最上位のSランク5競技に選出され、強化費は増額されてきた。その結果、昨年、日本フェンシング協会が手にした補助金は、じつに年間3億1544万円超。スポーツ庁からも909万3301円の補助金を得ているのだ。
 フェンシングが強化競技にされたのは、2008年北京大会で太田雄貴が日本初の銀メダルを撮ったことが発端になっている。以来、補助金により、本場フランスから招聘した3人のコーチを含め、外国人指導者4人の体制を敷いて選手を育成してきた。
 その結果、国際試合で実績を上げ、2019年には都内のナショナルトレーニングセンターに30面の練習コートを備えた専用練習場が完備された。まさに、カネがメダルに直結することを実証したのが、日本フェンシングなのである。

東側諸国の「国威発揚」の場だった五輪

 国家による補助、いわゆるカネがモノを言うようになったのは、東西冷戦があったからである。1960年代から、ソ連をはじめとする東側諸国は、国費を投入して選手の強化を図ってきた。その意味で、五輪が「平和の祭典」などというのは綺麗事に過ぎす、冷戦時代はまさに「国威発揚の祭典」だった。
 その結果、なにが起こったか?
 まず、IOCは1974年の総会で、オリンピック憲章から「アマチュア」の文字とその定義を削除し、プロ選手の参加を促した。また、西側諸国も、東側諸国同様、国家による選手育成に乗り出した。
 その契機となったのが、1976年のモントリオール五輪である。この大会で、スポーツ大国のアメリカは、メダル獲得数で、ソ連、東独に抜かれて世界3位に転落してしまった。この結果に大きな衝撃を受けた西側諸国は、この後、国立のトレーニングセンターなどを設立し、トップアスリートの育成・支援に取組むようになったのである。
 たとえば、モントリオール五輪で金ゼロに終わったオーストラリアは、1981年に「国立トレーニングセンター」(AIS)を設置し、2000年の自国開催、シドニー大会では金16個を獲得した。日本も、1988年のソウル大会で、金4銀3銅7計14と過去最低の成績で終わったため、オリンピック強化指定選手制度、スポーツ振興基金を発足させ、2001年に「国立スポーツ科学センター」(JISS)をつくった。

選手個人への報奨金がメダルに大きく影響

 国家による補助金、援助、選手育成とともに、アスリートのインセンティブとなっているのが、各国のオリンピック委員会や競技団体などからの報奨金とスポンサーからのサポートマネーおよび報奨金(ボーナス)だ。
 報奨金に関して述べると、日本オリンピック委員会(JOC)は、パリ五輪でメダルを獲得した選手に対し、「金」は500万円、「銀」は200万円、「銅」は100万円の報奨金を出す。
 また、各競技団体もメダリストに報奨金を出す。たとえば、ゴルフ協会は「金」獲得選手に2000万円を出す。卓球協会とバドミントン協会は「金」に対して1000万円である。
 競技団体からの報奨金は、その団体の懐事情に応じているので、高いところもあれば、低いところもある。各種競技団体からの報奨金で、「金」に対する金額がもっとも低いのがサーフィンの10万円だ。
 ただし、「金」を獲得しても報奨金ゼロという団体もある。主なところでは、水泳と柔道、そしてスケートボードだ。スケートボード協会は、資金的余裕がまったくないという。
 日本陸連も資金繰りが厳しく、パリ五輪の報奨金を大幅に減額した。これまで(リオと東京)は、個人種目の「金」は2000万円、「銀」は1000万円、「銅」は800万円だったが、今回は「金」が300万円、「銀」が200万円、「銅」が100万円になった。(つづく)

この続きは8月20日(火)発行の本紙(メルマガ・アプリ・ウェブサイト)に掲載します。 

※本コラムは山田順の同名メールマガジンから本人の了承を得て転載しています。

 

山田順
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。主な著書に「TBSザ・検証」(1996)、「出版大崩壊」(2011)、「資産フライト」(2011)、「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)、「円安亡国」(2015)など。近著に「米中冷戦 中国必敗の結末」(2019)。

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