移住者半数が沖縄県人、5年ぶり墓参団訪問

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共同通信
日本人墓地の「沖縄の塔」前で手を合わせる参列者=2024年7月、フィリピン・ダバオ(沖縄ツーリスト提供、共同)

 20世紀初頭から多くの日本人が移住し、太平洋戦争で犠牲になったフィリピン南部ミンダナオ島ダバオで2024年7月、沖縄県の墓参団が主催する追悼式が開かれた。参加者の高齢化と新型コロナウイルス禍で2019年が最後となっていたが、遺族の強い要望もあり5年ぶりの訪問が実現した。20~90代と幅広い世代が参加し、戦禍の記憶のバトンをつないだ。(共同=岩橋拓郎)

 遺族や子孫らでつくる「沖縄県ダバオ会」が主催した。7月9日に沖縄を出発し、11日にダバオの日本人墓地にある「沖縄の塔」前で追悼式を開催、約60人が参列した。地元の日系人とも交流し、13日に帰国した。

 ダバオには戦前、仕事を求めて多くの日本人が移住した。最盛期には約2万人が居住し、うち沖縄県出身者は1万人を超えていたとされる。日本人街には日本人学校やゴルフ場が造られて繁栄したが、戦争が始まると生活は一変。在留邦人は戦闘や病気、飢えなどで相次ぎ死亡した。

 沖縄県ダバオ会が団体での墓参を始めたのは1970年ごろ。当時は数百人が参加していたが近年は高齢化で減少し、2018年は約50人にとどまった。2019年の55回目で団体としての墓参は「最後」とし、2020年以降は有志による墓参とすることにした。しかし、それもコロナ禍に阻まれた。

 沖縄県ダバオ会の上原清会長(85)は戦前のダバオに生まれ、終戦後、米軍の捕虜収容所を経て強制送還された。「多くの日本人が亡くなった土地。ブランクがあっても、慰霊に行かないわけにはいかないですよ」

 高齢者の参加は少なくなってきたものの「今回、(ダバオ在留邦人の)2世3世の参加者がいた。終戦直後の様子を語れる人が減っているからこそ、記憶を次の世代に引き継いでいかないとならない」と意義を語る。

 「沖縄関係者に限らず、全国からゆかりのある人に参加してほしい」。風化にあらがうため、2025年以降も開催するつもりだ。