Published by
共同通信
共同通信
三味線を手に山あいを回り、唄を聞かせた目の不自由な女性旅芸人「瞽女(ごぜ)」。旅回りは昭和時代に途絶えたものの、新潟県上越市のNPO法人らが文化保存活動に力を入れる。巡業先の人々と瞽女が助け合った姿は、障害の有無にかかわらず共に学ぶ現代のインクルーシブ教育にも通じると指摘。関係者は「世界に誇れる」と太鼓判を押す。(共同通信=神部咲希)
「単に支援する人、支援される人と分けるのでなく、一緒に唄をつくり伝える文化があった」。7月上旬、自らも全盲の国立民族学博物館(大阪府吹田市)の広瀬浩二郎(ひろせ・こうじろう)教授(56)は、NPO「高田瞽女の文化を保存・発信する会」の関係者らと共に、上越市役所で面会した中川幹太(なかがわ・かんた)市長に保存の必要性を訴えた。
NPOによると、瞽女は室町時代から歴史があると言われ、新潟に多数いた。上越市高田地区を中心とする高田瞽女は、明治時代の最盛期に86人を数えた。瞽女に唄を指導する親方の家も19軒あったものの、戦後は1軒だけになった。
その屋敷には、最後の高田瞽女親方だった杉本(すぎもと)キクイさんが弟子2人と共に生活。1964年に旅巡業をやめ、1983年に85歳で亡くなると、弟子も転居。別の家主を経て、2024年4月に老朽化のため屋敷は解体された。
跡地を「瞽女ゆかりの地」にすべきだと考えるのは、NPOの濁川清夏(にごりかわ・せいか)理事長(75)だ。上越市に土地を取得するよう求めて集めた計1563人分の署名を中川市長に手渡した。インクルーシブ教育の普及や共生社会の実現に触れ「瞽女が支え合った文化から学ぶことは多い」と強調する。
記念碑建立や公園整備といった跡地利用を念頭に、濁川さんらの活動は続く。