この記事の初出は2024年8月27日
日本人より韓国人のほうが豊かで、積極的に人生を楽しんでいる。そんな時代がやってきたことを、グアムに来ると実感せざるをえない。約10年ぶりに訪れたグアムは、まさに韓国人のリゾートアイランドになっている。
グアムの入国者数の統計を見ると、韓国人は日本人の倍以上で、どこのホテルも圧倒的に韓国人が多い。すでに、1人あたりのGDPでは韓国のほうが上だから、これは当然の結果か。
いったいなぜ、こんなことになってしまったのだろうか? なぜ、日本経済は韓国経済に追い抜かれてしまったのか?
グアム来てあらためて驚く韓国人の多さ
私はいまグアムに来ている。この原稿を、タモン湾を見渡すホテルの部屋で書いている。
前回は2015年5月。このときは、後腹膜繊維症による尿管狭窄で「尿管ステント留置手術」を受けた直後だったが、妻と娘が先に行っていたため、医者のストップを聞かずにやって来た。
あれから10年弱。月日はあっという間にすぎた。娘は結婚し、孫娘が生まれた。今回は、その娘と孫娘(2歳2カ月)と家内の4人の家族旅行。娘の夫がフィンランドに戻っているので、その間、孫娘を南国のビーチで遊ばせたいと、やって来た。私は孫娘のお守り役兼お遊び相手。
グアムに来て驚くのは、日本のほうがはるかに暑いということ。気温は高いが、雨季なので、1日中晴れていないし、スコールも来る。スコールの後は涼しい風が吹く。
ただ、そんな気候のことより驚くのは、あらためて実感する韓国人の多さだ。
前回は、ヒルトンに泊まり、宿泊客の半数ほどが韓国人だったことに驚いたが、それでも3分の1は日本人だった。
それが、いまやどのホテルでも韓国人のほうが断然多く、日本人は少ない。そのため、街の標識もレストランのメニューもハングル表記が目立つ。グアムはいまや完全に韓国人のためのビーチリゾートと言っていい。済州島と見紛うほどだ。
初めてグアムに来たのはバンドの公演ツアー
私たち家族がいま宿泊しているのは、クラウンプラザ。
ここは、以前はフィエスタ・リゾートで、その前は日本資本が経営する第一ホテルだった。このように、タモン湾沿いホテルの多くが、経営母体が変わり、それに伴って名前も変わっている。
ここクラウンプラザは、2022年11月にIHGブランドとなってフルリノベーションが行われた。娘夫婦がIHGの会員なので、ここを予約した。
私が初めてグアムに来たのは、1978年。当時、音楽欄を担当していた関係で、音楽関係の業界仲間とサーフライダーズ(ワイルド・ワンズのドラマー植田芳暁氏が結成した新バンド)の現地公演に合わせてツアーを組んでやって来た。
そのとき、数人でフィッシングボートを借りて、生まれて初めてカジキマグロを釣った。大物だったので、現地の新聞にも写真が載った。
1970年代の新婚旅行先No.1はグアム
1970年代当時、グアムのホテルはほとんどが日本人観光客向けで、日本資本のホテルが多かった。代表的なのはフジタタモンビーチホテル。巨人軍のグアムキャンプの宿泊先だったが、いまはもう跡形もない。
私が泊まったことのあるホテルは、このフジタホテルと、PIC(パシフィックアイランドクラブ)、リーフ、ハイアットリージェンシー、ニッコー、ヒルトン、マリオットなど。訪れるたびに宿泊先を変えて家族でビーチライフを楽しんだ。いちばんよく泊まったのはヒルトンで、以前、娘の同級生がマネージャーをしていた。
ハワイは夏に長期滞在。グアムは、ほかの季節に1週間ほどの短期滞在という具合だった。
いまは閉鎖されているが、いちばん記憶に残っているのが、ココスアイランドリゾート。2歳になったばかりの娘を連れて、この小さな島で、1週間ほどコテージに滞在してビーチライフを満喫した。娘は水着を着るのを嫌がり、着せると自分で脱いで、裸で波打ち際を駆け回った。
もともとグアムは、日本人向けに観光開発が行われた。1960年代半ばから1970年代半ばにかけて、タモン湾沿いに日系ホテルが次々と建設された。当時の日本経済は絶好調で、高度成長期が続いていた。
調べてみると、1970年代は、新婚旅行先No.1がグアムだった。宮崎からグアム、そしてハワイへと人気先は移った。新婚旅行ブームが去った後は、若者たちのリゾートライフ、ビーチライフの人気地となり、その後、ファミリー向けの海外旅行の人気地となった。(つづく)
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山田順
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。主な著書に「TBSザ・検証」(1996)、「出版大崩壊」(2011)、「資産フライト」(2011)、「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)、「円安亡国」(2015)など。近著に「米中冷戦 中国必敗の結末」(2019)。