アートのパワー 第41回 「高松次郎: 広がる世界」(上)チェルシーのペース・ギャラリー(Pace Gallery in Chelsea)にて2024年11月2日まで開催

『影』1989/1997
アクリル・キャンバス、 291.5 cm x 128.1 cm
No. 89830

 

高松次郎1936-1998は日本の現代美術作家、キャリアは40年に及ぶ。絵画、彫刻、ドローイング、写真、パフォーマンスなど、さまざまな媒体を用いて作品を制作した。本展は、彼が最もよく知られる『影』シリーズを中心に展示している。高松は日本国内では名声を確立し、尊敬されているが、ペース・ギャラリーでの本展は、米国で初めて高松の作品を包括的かつ本格的に紹介した展示会である。

現代美術とは、第二次世界大戦後の非伝統的な前衛日本美術を指す用語である。戦後日本のアートシーンは非常に特殊であったため、「コンテンポラリー・アート」と英語に訳すと、場所と時間の意義が失われてしまう。ニューヨークだけでも、次のような日本に特化した現代美術展が開催されている:1984年グッゲンハイム・ソーホー「戦後日本の前衛美術:空へ叫び」、2012-13年MoMA(ニューヨーク近代美術館)「Tokyo 1955-1970:ニュー・アヴァンギャルド」、2013年グッゲンハイム美術館「具体:素晴らしい遊び場所」、2023年ジャパン・ソサエティ「アウト・オブ・バウンズ フルクサスと日本人女性芸術家たち」。さらにグッゲンハイムでは、2011年に「李禹煥:無限の創造」、2015年に「河原温:沈黙」の個展が開催され、2013年には「ナム・ジュン・パイク: グローバル・ビジョナリー」がワシントンDCのスミソニアン・アメリカ美術館で開催された。(李禹煥とナムジュン・パイクは韓国出身の作家だが、彼らは日本に住み、日本で教育を受け、キャリアの初期から日本で作品を発表し、李禹煥の場合は日本で教えていたことから私は彼らを日本現代美術の中に入れる。)。

2023年には草間彌生の「Kusama:Cosmic Nature」がニューヨーク植物園で展示された。  

西洋の目や西洋美術中心の教育を受けた人たちの目からすると、その範囲外の美術は派生的、あるいは二次的なもので、さほど重要ではないと見なされてきた。西洋では、ある種の非西洋芸術は、例えば歴史的・技術的にその文化に起因するイメージや素材を用い、どうあるべきか西洋の先入観に染まるものが好まれてきた。これは、西洋美術、特に絵画や彫刻が美術のヒエラルキーの最高位を占めるという考えに基づいている。  

20世紀初頭、日本はフランスの審査員制サロン展の影響を受けた。フランスの美術サロンは18世紀半ばから19世紀後半にかけて全盛期を迎えた。幕末以降、日本はアジアで初めてヨーロッパの技術を取り入れて近代化を果たし、それに伴って西洋化が進んだ。美術はフランスのサロン制度を取り入れ、団体展では名声を確立したアーティストたちが審査員となり、その基準にふさわしい様式や技法を支持した。若い世代がパリのアカデミックな主流美術に疑問を抱いたように、戦後日本の激動する時代を経験したアーティストたちも疑問を持つようになった。  

若い世代のアーティストに最も影響を与えたのは、マルセル・デュシャン1887-1968だった。彼はキュビズム、ダダ、そしてコンセプチュアル・アートの創成期から関わっていた。彼の『階段を降りる裸体No.2』は1913年のアーモリー・ショー(アメリカにポスト印象派とキュビスムを紹介した)で大きな物議を醸した。デュシャンは1915年にアメリカに移住。彼の作品の中で最も画期的なもののひとつ『泉』(1917年)は、横に倒した小便器に「R.MUTT」と署名しただけの作品で、「レディメイド」という新しい芸術の概念を提示した。デュシャンは、ヨーロッパ、ニューヨーク、そして日本の若い世代の作家達にも影響を与えた。東野芳明1930-2005は、当時トップの美術評論家で、世界でもいち早くデュシャンを評価した人だった。1958年、日本人が自由に海外旅行できるようになった頃、彼はヨーロッパ、そしてニューヨークを旅し、旅先で出会った作家達によって、マルセル・デュシャンの重要性に目覚めた。日本に戻り、デュシャンの作品を見る機会は限られていたが、その存在を伝え続けた。(『1945年以降の日本美術史』北澤・暮沢・満田、101-2頁)。

『影』 1997
アクリル・キャンバス、33.3 cm x 24.1 cm x 2.7 cm
No. 89819
『影』 1997
アクリル・キャンバス、33.3 cm x 24.1 cm x 2.7 cm
No. 89819

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文/ 中里 スミ(なかざと・すみ)

アクセアサリー・アーティト。アメリカ生活50年、マンハッタン在住歴37年。東京生まれ、ウェストチェスター育ち。カーネギ・メロン大学美術部入学、英文学部卒業、ピッツバーグ大学大学院東洋学部。 業界を問わず同時通訳と翻訳。現代美術に強い関心をもつ。2012年ビーズ・アクセサリー・スタジオ、TOPPI(突飛)NYCを創立。人類とビーズの歴史は絵画よりも遥かに長い。素材、技術、文化、貿易等によって変化して来たビーズの表現の可能性に注目。ビーズ・アクセサリーの作品を独自の文法と語彙をもつ視覚的言語と思い制作している。

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