アートのパワー 第43回 「アイスコールド: ヒップホップ・ジュエリー展」 自然史博物館で2025年1月5日まで開催中(上)

セオドア・ルーズベルト・ロタンダ南側壁面

 

数多くのダイヤモンドをちりばめた大胆なヒップホップ・ジュエリーが自然史博物館の鉱物・宝石ホールのアルコーブに展示されている。同展は、ヒップホップ誕生50周年を記念して、有名ラッパーが愛用したジュエリーや装身具を通してヒップホップの文化・歴史を概観する。  

まずは博物館について話したい。博物館の4つの入り口のうち、セントラルパーク沿いにある階段を上った正面玄関から入ると、セオドア・ルーズベルト・ロタンダと呼ばれる円形広間がある。そこには先史時代を目の前で見るかのような迫力満点のポーズをとった巨大恐竜3体の骨格標本が展示されている。高い天井につながる壁には、セオドア・ルーズベルト(1858-1919、第26代大統領1901-1909)の功績を称えてウィリアム・アンドリュー・マッケイが描いたオレンジ色の壁画がある。北側の壁はパナマ運河建設における彼のリーダーシップ(1914年)、南側の壁には日露戦争終結時のポーツマス条約交渉における彼の役割(1905年)、そして西側の壁には大統領就任後のアフリカ遠征(1909-1910年)が描かれている。壁画は1935年に完成し、翌年広間は現在の名称に改名された。  ポーツマス条約を記念する壁に、「高平」と「小村」という二人の日本人紳士の肖像画が苗字入りで描かれている。駐米大使の高平小五郎男爵と外務大臣の小村寿太郎侯爵である。新聞に掲載される醜い風刺画とは異なり、紳士の威厳をもって描かれているのが興味深い。ルーズベルトの父親は慈善家であり、1871年に開館した自然史博物館の創設者の一人だった。  

ルーズベルトの先祖は1640年頃にアムステルダムから移住し、アメリカ独立以前から政治に関わっていた。彼らは貿易、毛皮、そしてカリブ海の奴隷労働からもたらされた砂糖で最初の富を築いた。一族は2代目で、オイスターベイとハイドパークに拠点を置く2つの分家となり、前者ははケミカル・バンク・オブ・ニューヨーク(現JPモルガン・チェース)の初代頭取として、後者はバンク・オブ・ニューヨークの共同設立者として、ともに銀行業に携わった。また前者からは第26代大統領のセオドア(共和党)、後者からは第32代大統領のフランクリン(民主党)が出ている。  

セオドア・ルーズベルトは、政治家、軍人、自然保護主義者、歴史家、博物学者、探検家、作家として知られている。1910年、世界で初めてノーベル平和賞を受賞した人でもある。鉄鋼王アンドリュー・カーネギーが資金を提供し、スミソニアン協会が後援した東アフリカ遠征の目的は標本の収集だった。その多くはルーズベルトが狩猟したものだったが、植物も数千本採集しており、ルーズベルトが集めた標本は、博物館の初期のコレクションとなった。現在では植物、動物、菌類、化石、鉱物、岩石、隕石、人骨、人類の文化的遺物など3,200万点の標本を収蔵している。ルーズベルトの価値観や行動の多くは、今日の世界では批判の的になっている。2022年、博物館の西口に設置されていたルーズベルトの騎馬像が撤去された。1939年に制作されたこの像は、馬に乗ったルーズベルトの両側に先住民と黒人の男性が付き従っているデザインで、人種差別的だと批判された。エレン・V・フェダー館長はタイムズ紙のインタビューで、「この像の階層的な構図は……白人、西洋文化を他より高く評価する人種差別的イデオロギーを反映している」と述べた(スミソニアン・マガジン』2020年6月23日号)。  

フェダー氏は、ニューヨーク主要美術館の館長を務めた最初の女性で 、2023年の新館ギルダー・センター・フォー・サイエンス・アンド・イノベーションの開設時まで30年間勤続した。ヘンリー・ムーアの彫刻のようなアトリウム(ガラスやアクリル板などの明かりを通す素材で屋根を覆った大規模な空間)は、同館の西側コロンバス通りからの最新エントランスにつながる。このアトリウムは、既存の建物25棟と、4ブロック四方を占める4階建ての複合施設の多くのホールやギャラリーをつないでいる。同センターには生きた標本が展示され、バタフライ・ビバリウムには1000匹の生きた蛾や蝶が飼育され、蛹の孵化器もある。  

同博物館は比較生物学の博士課程と、科学を教える別の修士課程を提供している。 同館によると、ニューヨーク市内公立学校では、地球科学の初等教育修了証明書を取得して採用される教師の半数近くが、この修士課程の卒業生であるという。博物館は、科学否定論者を退ける上で重要な教育的役割を果たしている。

日露戦争を終結させたポーツマス条約の詳細(1905年)

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文/ 中里 スミ(なかざと・すみ)

アクセアサリー・アーティト。アメリカ生活50年、マンハッタン在住歴37年。東京生まれ、ウェストチェスター育ち。カーネギ・メロン大学美術部入学、英文学部卒業、ピッツバーグ大学大学院東洋学部。 業界を問わず同時通訳と翻訳。現代美術に強い関心をもつ。2012年ビーズ・アクセサリー・スタジオ、TOPPI(突飛)NYCを創立。人類とビーズの歴史は絵画よりも遥かに長い。素材、技術、文化、貿易等によって変化して来たビーズの表現の可能性に注目。ビーズ・アクセサリーの作品を独自の文法と語彙をもつ視覚的言語と思い制作している。

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