百寿者」「長寿礼賛」「人生100年」の欺瞞 なぜ「安楽死」ができないのか?(完)

この記事の初出は2024年9月17日

多死社会になり「死に場所争奪戦」が勃発

 日本はいま、年間で約160万人(2023年は159万503人)が亡くなるという「多死社会」である。では、人はどこで亡くなっているのかというと、やはりいちばん多いのは病院である。
 たとえば、老人ホームで看取りケアを受けていても、体調が悪化した場合には、最終的に看護師が嘱託医に指示を仰ぎ、協力病院もしくは指定病院に緊急搬送する。
 いまから約70年前の1950年代には、約8割の人が自宅で最期を迎えていた。それが、1961年に国民皆保険制度が整備されて医療費が安く済むようになると病院死が増え、1970年代後半には自宅死は5割を切った。そして、1990年代後半になると自宅死は2割以下となり、病院死が8割以上になった。
 しかし、2000年代からは病院死は徐々に減り始めた。これは、厚労省が終末期患者の「病院から在宅へ」という政策を進めたからである。ともかく、病院でなく自宅で死んでもらう。そうしなければ医療費の増大で国家財政がパンクしてしまうからだ。
 しかし、「病院から在宅へ」は、現時点で大きな問題を生んでいる。なぜなら、病院死を減らすということは、なるべく入院させない、入院してもすぐに退院させるということだからだ。
 この政策により起こったのが、「介護難民」「看取り難民」の大量発生である。前記した緩和ケア病棟の不足なども拍車をかけて、いまや「死に場所争奪戦」は熾烈になっている。その結果、誰にも看取られないまま死んでいく、独居老人の「孤独死」が激増している。

橋田寿賀子さんが望んだ究極の選択「安楽死」

 さて、自身がどう死ぬかを考えるとき、最終的に行き着くのは「安楽死」である。これは、患者が自分の意思で死を決め、医療処置によって死を迎えることだ。
 しかし、日本では認められていない。
 かつて、脚本家の橋田寿賀子さんが「私は安楽死で逝きたい」というエッセイを月刊『文藝春秋』(2016年12月号)に書き、大きな反響を呼んだ(のちに新書化)。しかし、橋田さんの願いは叶わず、2021年4月に自宅で息を引き取った。患っていた急性リンパ腫が悪化し、病院を転院して終末期治療を受け、最終的に自宅で亡くなられた。享年95歳。
 橋田さんは、安楽死が認められているスイスの例を挙げていた。スイスには安楽死をサポートしてくれるNGO団体があり、外国人にも安楽死を開放している。
 これまで、何人かの日本人が、いわゆる“スイス安楽死ツアー”に出かけており、そのドキュメントがテレビで放映されたこともある。処方されたクスリを飲み、約30分で安らかに眠るように死んでいけるという。

「尊厳死」と「安楽死」の大きな違い

 安楽死は、現在、いくつかの欧米諸国で認められている。スイスのほか、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクの欧州諸国。アメリカのニューメキシコ、カリフォルニア、ワシントン、オレゴン、モンタナ、バーモントの6つの州では、安楽死が合法である。患者が強い意思を示せば、医師は死に至る処置を施していいことになっている。
 日本には「日本尊厳死協会」(一般社団法人)という組織がある。1976年の設立当初は、「日本安楽死協会」という名前だったが、紆余曲折があって名前を変え、今日まで「尊厳死法案」の制定を目指して活動を続けている。ただ、いまだに法案提出にすら至っていない。
「尊厳死」というのは、患者の意思を尊厳するということだから、「安楽死」ではないかと思われがちだが、大きく異なっている。尊厳死では、延命治療を中止して自然死を待つ。これに対し、安楽死では医師が死に至る処方(投薬など)を行う。
 この医師が行うということと、自分がいつ死ぬか(命日)まで選択できることが、日本で安楽死が反対されている主な理由だ。

患者の意思を尊重した安楽死は殺人罪に

 「一律に延命を中止するのには無理がある」「社会的弱者の生存を脅かす」「人の死に国家が介入するのはおかしい」などと、これまで安楽死には根強い反対意見があった。
 なにより、「患者の命を助ける医者が、患者の望みとはいえ死なせていいのか」と言われると、ひるむ人間が多く、国会で議論すらされていない。
 そのため、医者が患者の意思を尊重して安楽死させると、確実に「殺人罪」が適用される。これは、1995年の東海大学付属病院で、医師が患者の望みで塩化カリウムを注射して死亡させた事件で確定している。
 このとき、処方した医師は殺人罪で有罪(執行猶予付き)となった。
 しかし、センテナリアンはもちろん、超高齢者の悲惨な現実がある現在、安楽死の議論は行われるべきだろう。過度な延命治療が行われ、尊厳死さえはっきり認められず、曖昧なままにされている状況は、改善されるべきではなかろうか。
 私は、延命治療をやめ、緩和ケアだけを望んでいるが、これもある時点でやめなければならない。その判断は、極めて難しい。
 このままでは、寝たきり老人、認知症要介護老人が増え続ける。そうして、日本はますます斜陽化していく。このまま、成り行きのまま超高齢化社会を進展させるのは、あまりにも無益で、高齢者に残酷ではなかろうか。(了)



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山田順
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。主な著書に「TBSザ・検証」(1996)、「出版大崩壊」(2011)、「資産フライト」(2011)、「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)、「円安亡国」(2015)など。近著に「米中冷戦 中国必敗の結末」(2019)。

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