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共同通信
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母親としての三笠宮妃百合子さまは、3人の息子全員に先立たれる悲しみを経験された。葬儀に当たる儀式で気丈に振る舞ったが、元宮内庁関係者は「ご心痛は、言葉では言い表せないものがあった」と思いやった。
2002年11月、三男高円宮がスカッシュのプレー中に倒れ、帰らぬ人となった。47歳の若さだった。百合子さまは、残された3人の孫娘をいつも気にかけていた。
長男寛仁親王が死去したのは12年6月。がんと闘い続けた息子が手術で入院するたびに、病室へ足を運んだ。亡くなる直前に旧知の男性が見舞いにきた際は「声をかけてあげてください」と頼み、最後まで励ました。
次男桂宮は1988年に急性硬膜下血腫で倒れ、車いすで公務を続けた。敗血症などで入退院を繰り返し、2014年、百合子さまと三笠宮にみとられて息を引き取った。本葬に当たる「斂葬の儀」に車いすで参列した百合子さまは、力を振り絞るように立ち上がり、静かに拝礼した。
3人が眠る豊島岡墓地(東京都文京区)では、それぞれの命日に「墓所祭」が営まれ、高齢の百合子さまの姿があった。