ズールー族の女性にとってビーズは経済的手段であり、生活に重要な役割を担っている。ズールー族にとって、ビーズは美的な文化的価値だけでなく、婚姻関係、社会的地位、一族への帰属を表現するものでもある。ライザ・ルーが雇った女性たちは作業中にゴスペルを歌った。ルーは厳格なクリスチャンの家庭で育ち、その厳しい生い立ちを枷に感じていたが、宗教的な意味ではなく、彼女たちとのつながりを感じ気分が高揚した。
ダーバンでは、職人のコミュニティで働くことを学んだ。彼女は大まかな指示を与えるが、ビーズ職人たちはそれぞれのやり方で作品を仕上げていく。当初、ビーズ職人たちはダーバンの工房に通っていたが、コンゴの政情不安により、難民がダーバンをはじめとする南アフリカ各地に押し寄せたため、2006年からルーがタウンシップのビーズ職人たちを訪ねるようになった。それぞれのビーズ職人によって作られた局部的な作品が、プロジェクト終了時に1つの作品となったのだった。ビーズの中には、日本のビーズメーカーに自分の仕様に合わせて発注した多くのビーズが含まれている。
何百万個ものガラスビーズを使うことで、多種多様に輝くガラスの表面は、伝統的な画材にはない形で光を反射する。「暗闇に光をもたらすことができますように」と、ルーはアッシジの聖フランチェスコの祈りを引用している。彼女のほとばしるような作品の下には「信仰の中で育てられた」という彼女の生い立ちのトラウマも隠されている。
現在ブルックリン美術館に展示されている 『トレーラーTrailer』(1998-2000)は、アメリカン・トリロジー・シリーズの3作目である。前2作は明るい色彩を使ったポップ・アートのような作品だったが、『トレーラー』はルーのダークサイドの作品だ。何の変哲もない工事現場で見るようなメタリックなトレーラーハウスを見て、まだ設置が終わってないのかと思ったが、中に入る階段に気がついた。そして、一歩足を踏み入れると、そのシビアなインテリアのモノトーンの色合いにびっくりした。ルーのインスピレーションは、昔のハリウッドの白黒ノワール映画から来ている。彼女はモハーヴェ砂漠の居住者から購入した1950年代のトレーラーハウスの中を、家具、男性誌、銃、ウイスキーのショットグラスなど、すべてビーズで作ったもので埋め尽くした。奥に置かれたベッドを覗くと、ウィングチップの靴を履いた足がある。明らかに死体の一部だ。これは 「男くささ、絶望、孤独、強迫観念を考察する不吉な光景 」(ブルックリン美術館、ミュージアム・スポットライト、2024年9月13日)である。最も興味深いのはタイプライターで、その横には手書きで 「KEEP YOUR EYES ON THE ROAD to LIBERTY (自由への道を見続けよ)」と書かれている。トレーラーを出て振り返ると、トレーラーが棺桶で、住む者にとって道の終わりだった。外に出ると、作品の修復過程を記録したビデオが目についた。
ライザ・ルーの芸術の旅は、ビーズを表現手段とする彼女のひたむきな追求を浮き彫りにしている。アートを始めたころは、本格的な素材として受け入れられなかったが、彼女は限界に挑み続けている。最初は一人で制作し、その後ズールー族の女性ビーズ職人のコミュニティと一緒に仕事をした経験が、彼女の創作プロセスに大きな影響を与えた。南アフリカでの生活は、『Continuous Mile』(2006-2008)、『The Clouds』(2015-2018)、『The Waves』(2016)などの作品に反映され、社会意識だけでなく、自分の周りや情勢に正直に反応し、作品のビジョンを豊かにした。カリフォルニアに戻った後、ビーズを使うことをやめようとしたが、新たなアイデアが湧いてきた。ルーのコンセプチュアルな抽象作品は、彼女のアメリカン・トリロジーから進化したものである。
『キッチン』はホイットニー美術館、『裏庭』はカルティエ現代美術財団、『トレーラー』はブルックリン美術館に永久所蔵されている。ルーは2002年にマッカーサー・フェロー賞、2013年にアノニマス・ワズ・ア・ウーマン賞(芸術家個人への助成を停止した全米芸術基金に対抗する賞)を受賞。ルーの作品は米国とヨーロッパで幅広く展示されている。レーマン・モーピン画廊に所属。2023年には、5年目を迎えたルイ・ヴィトンのアーティーカプシーヌ・コレクション・シリーズに選ばれた5人の現代アーティストの1人となった。
文/ 中里 スミ(なかざと・すみ)
アクセアサリー・アーティト。アメリカ生活50年、マンハッタン在住歴37年。東京生まれ、ウェストチェスター育ち。カーネギ・メロン大学美術部入学、英文学部卒業、ピッツバーグ大学大学院東洋学部。 業界を問わず同時通訳と翻訳。現代美術に強い関心をもつ。2012年ビーズ・アクセサリー・スタジオ、TOPPI(突飛)NYCを創立。人類とビーズの歴史は絵画よりも遥かに長い。素材、技術、文化、貿易等によって変化して来たビーズの表現の可能性に注目。ビーズ・アクセサリーの作品を独自の文法と語彙をもつ視覚的言語と思い制作している。