第13回 ニューヨークアートローグ Patricia Field ARTFashion ニューヨークが生んだ伝説のスタイリスト

第13回 ニューヨークアートローグ
Patricia Field ARTFashion

ニューヨークが生んだ伝説のスタイリスト
パトリシア・フィールド

Photo by Jacques De Melo

◆「私は服を売っているのではなく、物語を伝えている」

パトリシア・フィールド(1942年ニューヨーク市生まれ)は映画「プラダを着た悪魔」(2006年)やテレビ番組「セックス・アンド・ザ・シティ」(1998〜2004年)、ネットフリックスのヒット作品「エミリー、パリへ行く」(2020〜24年)などの衣装デザインでも知られるカリスマスタイリスト。そして生粋のニューヨーカーだ。

1963年にニューヨーク大学を卒業し、百貨店のバイヤーアシスタントとしてファッション業界でのキャリアをスタートさせた。衣装デザインは1987年のダイアン・レイン主演の映画「Lady Beware (愛は危険な香り)」でデビュー。その後も映画やテレビで活躍を続け1995年には映画「Miami Rhapsody(マイアミ・ラプソディー)」でサラ・ジェシカ・パーカーと出会う。3年後の「セックス・アンド・ザ・シティ」でエミー賞を受賞。この番組で彼女が生み出したファッションは世界中に影響を与え、30年経った今でもその影響は色あせることがない。

2007年にはアカデミー賞にもノミネートされている。日本では2008年にヘアケアブランド「ヴィダルサスーン」のCMで安室奈美恵とのコラボレーションをして話題を集め、同年12月にはスタイリングアイデアを表現する世界初のファッションショーを東京で開催し、ファッション界への新たな挑戦を果たした。2013年にはメルボルンで「セックス・アンド・ザ・シティーのコスチューム」展が開催され、2014年には西オーストラリア州パースに巡回。

2016年「アート・バーゼル マイアミ・ビーチ(大規模なアートフェア)」に合わせ、フィールドの新しいプロジェクト「ファッションアート」が初めて披露された。2023年には山梨県北杜市の中村キース・ヘリング美術館で彼女が蒐集してきたアート作品に焦点を当てた「パトリシア・フィールド・アートコレクション、ハウス・オブ・フィールド」展が開催された。

「パトリシア・フィールド・アートコレクション、ハウス・オブ・フィールド」の展覧会カタログ

◆「好きなことをやれば、物事はうまく行く」

1966年、24歳でグリニッジビレッジに最初のブティック「パンツ・パブ」をオープン(1971年に東8丁目に移転、「パトリシア・フィールド」に)。新しい場所で、あらゆる年齢層やバックグラウンドをもつ人々に、カラフルで最先端のファッションを提供し、瞬く間にファッション界に頭角を現す。1970年代後半にはセレブを惹きつけ始めた。偶然立ち寄ったパティ・スミスをはじめ、マドンナを含む他のセレブやアーティストたちも続々と訪れるようになる。エッジの効いた個性的で刺激的なスタイルで、クラブキッズからドラァグクイーン、ファッション最前線のセレブまで、多くの人々が夢中になった。

Courtesy of Patricia Field

当時自身も常連客で、セレブが集うクラブ「スタジオ54」でも彼女はディスコファッションの先駆者として知られ、ファッションデザイナーのハルストンやアンディ・ウォーホルとも知り合っている。スタイルは一見カオスなファッションともいえるだろう。お尻を見せるパンツ、アニマル柄のドレス、大胆なフリル付きのパンティなどを違うアイテムと合わせるというのが一例だ。そして、そのスタイルを集約したのがブティックであり、その核となるのが「ハウス・オブ・フィールド」である。

Photo by Jacques De Melo

ちなみに「ハウス」という言葉は1970年代からニューヨークのアンダーグラウンドシーンで使用され、特にブラックやラテン系LGBTQ+コミュニティーの間で広まったもの。そんな言葉の意のごとく、また彼女の「ハウス」もコミュニティーを形成していた。ここには日本人も含む海外からニューヨークに憧れて来た者や、LGBTQの若者たちが集まり、まさに人種のるつぼだった。ファッションセンスが良ければスタッフとして雇うことも多々あった。しかしフィールドの強い信念と個性の下で働くのは容易ではなく、ミスを怒鳴られて解雇されることもしばしば。ところが何度クビにされても出戻りするスタッフが絶えなかったという。誰もでも受け入れる彼女はスタッフ間で「マザー」と呼ばれ、崇拝され、恐れられ、そして愛されていたのだ。

70年代後半に田舎から出てきたばかりのヘリングも壁画を描き、スタジオを持たないバスキアはフィールドのロフトに寝泊まりし、宿泊代としてショップで販売するタイベック(建設用素材)を使ったジャンプスーツやシューズに絵を描いた。フィールドの“ハウス”は長年にわたりアーティストを支え、ファッションの聖地として多くの人々を惹きつけ、ダウンタウンの活力と創造性を育む存在だった。さらに1997年にはソーホーに移り「ホテル・ヴィーナス」としてショップを継続。2016年に半世紀に及ぶショップを閉店し、ローワー・イースト・サイドに移転した。

◆「アートは、喜びを与えハッピーにするもの」

ブティックを閉めてからローワー・イースト・サイドに移転し、新しいコンセプトで「アートファッション」ギャラリーをオープン。そして今年の9月にイーストブロードウェイ211番地に移転。ここではファッションをアートとしてキュレートするという、これまでにない新しいスタイリングの在り方に挑戦している。

Patricia Field ARTFashion Galleryにて Photo::本紙

フィールドが選んだアーティストたちによる一点ものの衣服とアート作品がキュレートされている。これまでダウンタウンのクラブシーン、ストリートアート、ミュージックシーン、そしてイーストビレッジのアンダーグラウンドカルチャーと共にスタイリングされてきた「パトリシア・フィールド」の起源が集約されたような空間であると同時に、これまでのスタイルとは違う「着るアート」をコンセプトにした新しいブランドを展開。ギャラリーの衣服はファッションの傾向やモードに左右されず、自由に表現されている。

Patricia Field ARTFashion Galleryにて Photo::本紙
Patricia Field ARTFashion Galleryにて Photo::本紙

日常的に「アートを着る」のは一般人にとってはなかなか勇気がいることかもしれないが、試しに着て街を闊歩してほしい。まるで内面から湧き上がるパワーを周囲に発散しているような感覚に陥る。魔法にかかったようにハッピーになるのだ。

パトリシア・フィールド、Patricia Field ARTFashion Galleryにて Photo::本紙
Photo by Kouichi Nakazawa

梁瀬 薫(やなせ・かおる)
国際美術評論家連盟米国支部(Association of International Art Critics USA )美術評論家/ 展覧会プロデューサー 1986年ニューヨーク近代美術館(MOMA)のプロジェクトでNYへ渡る。コンテンポラリーアートを軸に数々のメディアに寄稿。コンサルティング、展覧会企画とプロデュースなど幅広く活動。2007年中村キース・ヘリング美術館の顧問就任。 2015年NY能ソサエティーのバイスプレジデント就任。

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