『大久保ミネ:ポートレイト』
チェルシーの靖山画廊で3月1日まで開催
このワシントンD.C.で行われている画期的な展覧会は、カリフォルニア大学マーセド校のアジア系アメリカ美術研究者で教授でもあるシー・プー・ワン(王士圃)博士がキュレーターを務め、ロサンゼルスの全米日系人博物館が企画し、30年の歳月をかけて実現させたものである。サンフランシスコで活躍した3人の日系アメリカ人女性画家を紹介し、80年以上にわたり制作された100点以上の作品を展示している。展覧会のタイトル 『Pictures of Belonging 』には2つの意味が込められている。1つは、歴史的な逆境にもかかわらず、彼女たちの芸術作品が彼女たちの人生と存在を可視化していること、そして、この展覧会が、あまり知られていない声を取り上げ、より豊かで深い物語を語り、より包括的なアメリカの物語を提示することで、アメリカン・アートを再定義していることである。
3人の女性は、1920~30年代にかけて活況を呈したサンフランシスコの文化の中で活躍した。早川ミキ(1899-1953)(出生名:光子)は、父の反対を押し切って北海道根室市を離れ、カリフォルニア美術学校(CSFA:後のサンフランシスコ・アート・インスティテュート)で学んだ。福井出身の日比久子(1907-1991)は両親と共にサンフランシスコに渡り、高校在学中からCSFAで学び始めた。大久保ミネ(1912-2001)はカリフォルニア州リバーサイドで生まれ、リバーサイド短大を経てカリフォルニア大学バークレー校で学士号と修士号を取得した。渡米する日本人女性のほとんどが、長年独身だった日本人男性と結婚した「写真花嫁」だった当時において、彼女たちは稀な存在だった。アメリカは1907年まで日本人女性の移民を認めていないし、1924年には連邦法でアジアからの移民がすべて禁止されていた。

Photo © Museum Associates/LACMA”
女性、特に裕福な家庭で育ったのではない日本人女性がアメリカでアーティストの道を歩むということは、100年前には考えられなかった。この3人が日本人の枠を超えて認められたことは、サンフランシスコの多文化主義の証明でもある。CSFAには全米・米国外からの多くの生徒がいた。名簿には日本人の名前もある。学校のカリキュラムは柔軟で、真面目で自主的なアーティストである生徒には、授業を受けるのに必要な試験も、規定の学科や課程もなかった。講師はほぼ全員がヨーロッパで学んでいた。
1929年、早川はゴールデンゲート・インスティテュートで開催した個展で作品150点を展示した。サンフランシスコ・エグザミナー紙のゴビンド・ベハリ・ライ(自身もインドからの移民)は、早川を「天才」と呼んだ(ライは1937年にピューリッツァー賞を共同受賞している)。1935年、早川はサンフランシスコ近代美術館の開館記念展に出品した唯一の日系女性アーティスト(他の12人のアジア系アーティストはすべて男性)だった。3人とも、サンフランシスコ美術界の重鎮であるサンフランシスコ美術協会の審査員展で常に栄誉に輝き、地元の画廊/美術連盟やカリフォルニア中の他のコレクティブでも展示されていた。

CSFAではロマンスもあった。清水久子はそこで日比松三郎ジョージと出会った。ヨセミテ国立公園を描いた一連の版画や絵画で知られる小圃 千浦(1885-1975)は、カリフォルニア大学バークレー校で教鞭をとった(1932-1954、戦時中を除く)著名な画家である。ワン博士のウェビナーによると、小圃は久子の両親に手紙を書き、20歳年上の松三郎の人柄を保証したという。松三郎はCSFAの学生だったが、1920年に教官となった。小圃と松三郎は久子の師匠だった。結婚後、日比夫妻はカリフォルニア州ヘイワード(サンフランシスコのベイエリア、イーストベイ地区)に移り住み、松三郎が日本語を教え、久子はその手伝いをした。二人の子供にも恵まれた。早川ミキはCSFAでプレストン・エルマー・マクロッセンと出会い、1947年ニューメキシコで結婚した。
大久保ミネはカリフォルニア大学バークレー校を卒業後、奨学金を得て2年間ヨーロッパに留学し、パリではフェルナン・レジェに師事した。しかし、ヨーロッパで戦争が始まり、母親が病気になったこともあり、滞在は1年半に短縮された。サンフランシスコ万国博覧会では、メキシコの偉大な壁画家ディエゴ・リビエラ(最近ではフリーダ・カーロの夫として知られる)が毎日巨大な壁画を描いていたその近くで、大久保はフレスコ画のデモンストレーションを行った。この3人のアーティストは、万博でアメリカン・アートを代表した唯一の女性アーティストだった。

文/中里 スミ(なかざと・すみ)
アクセサリー・アーティト。アメリカ生活50年、マンハッタン在住歴38年。東京生まれ、ウェストチェスター育ち。カーネギ・メロン大学美術部入学、英文学部卒業、ピッツバーグ大学大学院東洋学部。 業界を問わず同時通訳と翻訳。現代美術に強い関心をもつ。2012年ビーズ・アクセサリー・スタジオ、TOPPI(突飛)NYCを創立。人類とビーズの歴史は絵画よりも遥かに長い。素材、技術、文化、貿易等によって変化して来たビーズの表現の可能性に注目。ビーズ・アクセサリーの作品を独自の文法と語彙をもつ視覚的言語と思い制作している。
RECOMMENDED
-
春の満月「ピンクムーン」がNYの夜空を幻想的に、 日時やおすすめ鑑賞スポットは?
-
なぜ? アメリカの観光客が減少傾向に「30〜60%も…」、NY観光業で深まる懸念
-
アメリカのスーパーの食材に「危険なレベル」の残留農薬、気をつけるべき野菜や果物は?
-
生ごみのコンポスト義務化、守られず ごみ分別違反に4月1日から罰金
-
トレジョの人気すぎるミニトートに新色、各店舗からは「買えた」「買えなかった」の声 ebayではすでに約16倍の価格で転売!?
-
日本の生ドーナツ専門店「I’m donut?」がついにNY上陸、場所はタイムズスクエア オープン日はいつ?
-
NYで「ソメイヨシノ」が見られる、お花見スポット5選 桜のトンネルや隠れた名所も
-
ティモシー・シャラメの「トラッシュコア」 目茶苦茶で個性的、若者を魅了
-
北米初のユニクロ「カフェ」がNYにオープン、気になるメニューや価格は?
-
物件高騰が続くNY、今が “買い時” な街とは? 「家を買うのにオススメなエリア」トップ10が発表