2025.02.18 COLUMN アートのパワー

アートのパワー 第49回 『Pictures of Belonging:早川ミキ、日比久子、大久保ミネ』スミソニアン・アメリカ美術館(ワシントンDC)で2025年8月17日まで開催(下)

『大久保ミネ:ポートレイト』
チェルシーの靖山画廊で3月1日まで開催

日比夫妻はというと、終戦まで友人に作品を預けていたが、結局、作品は紛失してしまった。カリフォルニアに帰る所もなく、ニューヨークに移った。すでにニューヨークにいた大久保と交換した手紙もある。大久保自身はタイム、ライフ、ニューヨーク・タイムズ、サタデーイブニングポストなど大手出版社のイラストレーターであり、グリニッジ・ヴィレッジで月20ドルの家賃据え置きアパートに住んでいた。日比夫妻はかなりの苦労した。松三郎は臨時の仕事しか見つけることができず、久子は裁縫師として働いた。彼らが住んでいたのは西37丁目458番地の長屋アパートで、30年前まではとても治安の悪い地域だった。

日比夫妻は不幸に見舞われた。最初に久子、次に松三郎がガンと診断され、松三郎は1947年に亡くなった。久子は2人の子供を1人で育てることになった。久子は1954年にサンフランシスコに戻り、その後40年間、アートコミュニティで活躍した。最初は裁縫師として生計を立てていた。娘が大学を卒業すると、ボヘミアンの友人たちの肖像画で知られていたヘレン・サルツから住み込みのメイドとして住む場所を提供され、1972年までそこに住んだ。サルツは1934年、アメリカ自由人権協会(ACLU)の北カリフォルニア支部を共同設立した。 ACLUは第二次世界大戦中、日系アメリカ人への権利侵害に異議を唱えることに尽力していた。 1974〜75年にかけて、日比は日本にいる両親と息子を訪ねた。その後、サンフランシスコのランバウド・ギャラリーの2階のスタジオ・アパートに引っ越した。ルシアン・ランバウトは1962年に松三郎の遺作展を、1970年には久子の初個展を開催した。日比の絵画は、痛切で象徴的なイメージを含む内省的なものである。生涯仏教徒だった日比の表現は、静かだが率直で効果的だ。

大久保ミネ『Lady with Red Hat(赤い帽子の女性)』1963、油絵 50” x 40”

大久保は50年代半ばに売れっ子イラストレーターとしてのキャリアから離れ、1960年からはフルタイムで絵画に専念した。大久保の作品は、社会的リアリズムの作風から、明るい色彩にあふれた子供のような表現で想像力豊かな人物や動物へと変貌を遂げた。彼女はそれを 「ハッピー・ペインティング 」と呼び、「すべてを基本に戻した。その過程で、私は自分自身のアイデンティティや現実を見つけた」と説明した。1972年、大久保はオークランド・ミュージアムで初の大規模回顧展『Mine Okubo』を開催した。大久保は商業美術市場を信用せず、作品を知人に直接販売していた。大久保は50年以上も家賃据え置きの安アパートに住み続けた。家賃の高い入居者を入れるために彼女を追い出そうとした家主との闘いもあった。暖房が止められたり、窓ガラスが割れたまま修理してもらえないなど、様々な嫌がらせに苦しんだ。88歳で亡くなったとき、彼女は絵画、版画、素描など1万点の作品を残していた。

日比も大久保も、トラウマ的な体験や困難な状況が続いたにもかかわらず、芸術への揺るぎないコミットメントを貫いた。モダニズムとポスト・モダニズムをそれぞれ独自の感性で探求した。同世代の画家たちに共通する構図も用いているが、重要なのは、晩年まで自らの表現の可能性を追求し続けた彼女達の姿勢である。

– 大久保ミネ『Boy, Rooster, Cat(少年、雄鶏、猫)』1964、 油絵32” x 22”リチャード・サカイ所蔵。明るい色を用いた想像的な人物や動物を「ハッピー・ペインティング」と呼んだ 油絵 

『Pictures of Belonging: 早川ミキ、日比久子、大久保ミネ』は巡回展で、ソルトレイクシティのユタ美術館を皮切りに、スミソニアン・アメリカ美術館、ペンシルバニア美術アカデミー、カリフォルニアのモントレー美術館を経てロサンゼルスの全米日系人博物館へと巡回する。ワン博士によると、この展覧会の巡回先を探して多くの美術館に連絡した中で、断りの返事をくれたところもあったが、返事がないところが多かったという。3人のアーティストは、最近購入された他の日系アメリカ人アーティストの作品とともに、ワシントンDCで自分たちの作品が展示されることに感激しているに違いないだろう。

– 日比久子「戦争と苦悩」1982年、油絵  35¾”x42½” 日比は絵の上3分の2を覆う抽象的な画像でトパーズの激しい砂嵐と政治の嵐を表しているようだ。小さな人影がひどい状況におかれ苦しんでいる。

世界中から人々がより良い生活を求めてこの国にやってくる。彼らは勤勉な人々だ。1942年2月19日、12万人の日系アメリカ人が生活と家を手放すことを余儀なくされた。この展覧会の3人のアーティストは、外国人排斥の強権的な政府政策の罪のない犠牲者だった。このタイムリーな展覧会は、日系人だという理由だけで投獄された人々の辿った道を考えさせられる。

最後に、チェルシーの靖山画廊で3月1日まで『大久保ミネ:ポートレイト』が開催されている。東京を拠点とする同ギャラリーが、日系アメリカ人アーティストの作品を展示するのは今回が初めてだ。

文/中里 スミ(なかざと・すみ)

アクセサリー・アーティト。アメリカ生活50年、マンハッタン在住歴38年。東京生まれ、ウェストチェスター育ち。カーネギ・メロン大学美術部入学、英文学部卒業、ピッツバーグ大学大学院東洋学部。 業界を問わず同時通訳と翻訳。現代美術に強い関心をもつ。2012年ビーズ・アクセサリー・スタジオ、TOPPI(突飛)NYCを創立。人類とビーズの歴史は絵画よりも遥かに長い。素材、技術、文化、貿易等によって変化して来たビーズの表現の可能性に注目。ビーズ・アクセサリーの作品を独自の文法と語彙をもつ視覚的言語と思い制作している。

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