ニューヨーク補習授業校(小島昇校長)は16日、LI校・W校合同の第26回卒業証書授与式を挙行した。初等部、中等部、高等部の各課程を修了した合計80人の卒業生が、小島校長から卒業証書を受け取った。


卒業生代表の6人による答辞は、さまざまな困難に直面しながらも補習校で学び続けたことで得られた自信に満ちあふれていた。補習校で共に学んだ仲間と育んだ絆、支えてくれた保護者への感謝、卒業の日を迎えた達成感、将来への決意と希望が丁寧な日本語で述べられ、式場からは大きな拍手が沸き起こった。
LI校初等部代表児童、W校中等部代表生徒の卒業生答辞を紹介する(情報・写真提供:ニューヨーク補習授業校)。
編集部註:答辞は原文のまま掲載しています
答辞 卒業生代表・LI校初等部6年 藤本真矢
みなさま、本日は私たち卒業生のために、このような素晴らしい卒業式を開いていただき、また、たくさんのお祝いの言葉もいただきまして、ありがとうございます。
補習校の初等部に入学してからの六年間は、私にとってとても長い時間でした。その間、私はたくさんのことを学びました。けれど、私は、日本語や漢字だけを教えてもらったのではありません。私は、友達とはどういうものか、そして、大変だった漢字の勉強が自分への自信につながる、ということも学びました。
一年生に入学した時は、私はとてもシャイだったことを覚えています。だれかと話すとき、ものすごくきんちょうしました。でも、クラスメイトたちにやさしくかんげいされて、仲良くなりました。そして、クラス全員でカフェテリアで宿題をやったり、文句を言いながらも、授業で協力し合ったり、困っているときや悲しいときも、みんなで助け合いました。
運動会の時、クラスが白組と紅組に分かれて反対のチームになってしまった時だって、公園で一緒に練習して、どうやってリレーに勝てるかのヒントを語り合いました。勝ち負けより、助け合うことを選んだことが、とてもうれしく感じられました。
また、授業中にいたずらをしたり、おしゃべりをしたりした時でも、みんなで責任を取って、一緒におこられました。でも、だれも個人を責めたりしませんでした。 今となっては、クラス全員のきずなを深めた大切な思い出です。補習校からもらった一番大切なものは、信頼できる友達が作れたことだと言っても過言ではありません。六年一組のみんなは、私にとってとても大事な友達です。
補習校で一番大変だったのは、宿題です。現地校の宿題と両立するのはしんどかったし、漢字の勉強は大変でした。おこられながらも、毎日母と一緒に、漢字テストの勉強をしました。でも、今は母に言われなくても、一人で勉強できるようになり、それが自分だけでもできるという自信に変わり、この勉強する習慣が私の生活の一部になりました。今なら、分かります。この大変だった時間は、日本語だけでなく、様々なことを学ぶために必要だったのだと。
四月、私は中学生になります。これからも、もっと補習校で勉強し、バイリンガルのアートセラピストになれることを目指して、たくさんのことに挑戦していきたいと思います。
最後になりますが、今日まで補習校を続けてこられたのは、これまで指導してくださった六年一組の豊田先生、ならびに、校長先生、教頭先生、これまで指導してくださった先生方、バーンズ先生、スタッフの方々のおかげです。心からお礼を申し上げます。そして、学校行事を支えて下さった保護者会とボランティアをして下さった保護者のみなさま、本当に有難うございましたそれから、お父さんとお母さん、今まで私を支えてくれてありがとう。これからも、応援してくださいね。
私たち卒業生の補習校生活を支援してくださった全ての方々に、心から感謝を申し上げ、これを答辞といたします。
本当にありがとうございました。
答辞 卒業生代表・W校中等部3年 クラベル・ビクトリア
私の母方の祖母は日本人です。でも私の母は日本語にはあまり馴染みが無く家庭での会話は全て英語で成り立っています。私の家族は父の仕事の都合で3歳から7歳までを日本で過ごし、アメリカへ帰国後はカリフォルニアのサンノゼ補習校に通いました。その後小学三年生の2学期にニューヨークの補習校に転校し今日に至ります。強いて言うなら私は逆帰国子女です。
私にとって、この中等部での3年間は、まさに「光陰矢の如し」。中等部に入学したことがつい昨日のことのように感じられます。
我が学級は生徒数19人での出発、とてもにぎやかで活気に満ちあふれていました。
ところが、中二が始まるころより、帰国や転出が増え人数が減りだし、クラスの規模がだんだん小さくなってきました。最終的に今日共に中等部を卒業する級友は7人になってしまいました。しかし私達にとって、このクラスはかけがえのない仲間達で成り立っています! 私たちは週に一回しか会えませんが、現地校とは違い三年間ずっと同じ顔ぶれです。長い時間をかけてどんどん仲良くなっていくことができたのがとてもうれしかったです。
私たちのクラスのテーマは「十人十色」。一人ひとり個性は違うけれどそれぞれの良さを認め合って、自分らしさが輝くクラスを目指してきました。
補習校最大の行事「のみの市」では、この少人数でイベントを行うのはとても困難でした。雑貨、食べ物、ゲームなどを準備し、初等部の皆さんや一般の方々にそれらを紹介、購入をお願いしました。昨年と同じメンバーだからこそ、昨年の反省を生かして作戦を練ることが出来ました。
当日は食事をする時間を割いて、気恥ずかしさをおぼえながらも積極的に会場以外の教室へも、出張販売に行きました。全員で協力し準備してきたベークセールでの商品を全部売り切ったときは皆、達成感に満たされ、私自身がとても感動しました。クラスの人数が一番少なくても、こんなことができるんだ、たった7人で乗り切ったこのクラスは本当にすごいと、みんなを誇らしく思いました。このような経験は現地校では味わえません。
六年の時の担任の先生が「中等部へ行ったら学校がもっと楽しくなるよ。」とおっしゃっていましたが、本当にその通りでした。
現地校に月曜から金曜まで通い、さらに土曜日も補習校ということは、自分なりにかなりの努力をしてきたように思います。金曜の夜、大雪が降りますようにと願ったことは一度や二度ではありません。ごめんなさい。
私は長年継続してきたスポーツの大会が、土曜日に開催されることが多々あり、補習校を欠席しなくてはならない場面がありました。授業あるいは学校行事に参加できない時は、正直焦りますし場合によっては疎外感を感じることもありました。でも担任の先生が宿題の提出や、欠席届けについて忍耐強くご指導してくださったこと、励ましてくださったことに感謝しています。
時々英語が授業中に飛びかうことが多く、先生からは何度も「日本語をしゃべる機会があるのは自分の家族と補習校しかないのに、ここまで来てなぜ英語を話すの!?」と注意を受けました。私が一番怒られたのではないかと自負しています。
「自分には日本人の血が流れているんだ」ということについてのアイデンティティーを保つことができたのは補習校、先生たち、友達、そして日本語の読み書きがほとんど不可能な中、支えてくれた両親のおかげです。
この三年間で得た経験や友情は、私たちの心に深くきざまれたと思います。「少人数だからダメ」と感じるのではなく、「少人数だからこそ、より沢山のものを得ることができた」と感じる選択をした自分たちに、心から拍手を送りたいと思います。助け合いながら過ごした日々は、他では得られない特別な思い出です。補習校で学んだことや築いた絆は、これからも私たちを支えてくれるでしょう。
私は、この四月から高等部で生徒会副会長として、学校生活を出発します。今までは、「学級」の一員として活動してきましたが、これからは「学校」の一員ということを見据えて行動していかなくてはならないと痛感しています。今日は中等部卒業という一つの区切りですが、私たちの成長はまだまだ続きます。これからも、ずっと頑張り続ける自分でありたいと思います。
ありがとうございました。
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