米国が工業化を突き進み世界の大国にのし上がったのと時を同じくして、この国の紳士服のスタンダードを確立したのがブルックスブラザーズ(以下「ブルックス」)である。以前の回で触れた「ボタンダウン」のシャツの他にも、服飾史に残るブルックスのイノベーションは枚挙にいとまがない。
アメリカントラッドの誕生
19世紀初頭以来、紳士服デザインを仕切っていたのは英国ロンドンである。「背広」の語源といわれる洋品街「サヴィル・ロウ」が、トレンド発信地だったのは有名な話だ。
当時の夜会用礼服は18世紀の華美な宮廷衣装に代わり、白と黒のシンプルなスワローテールコート(いわゆる燕尾服)、ウエストコート(ベスト)、トラウザー(長ズボン)と、それぞれ別素材で仕立てられた3点セットが定番だった。
日中の仕事着もモーニングコートやフロックコートが主流で、いずれも着丈が長いのが特徴。だが1848年ごろに丈の短いラウンジジャケット、1860年を過ぎると3点を同じ素材で作るラウンジスーツが登場する。ブルックスは、ラウンジ系こそが「希望に満ちた国アメリカにふさわしい趣味の良いスーツ」と考え、これをベースに「No.1サックスーツ」という名称の新型スーツを発表した。1901年のことだ。
サックスーツは、背中の縫い目が1本なのが特徴。フロックコートなど旧型の上着の場合、背中には中心と左右両側に計3本の縫い目があり、ウエスト部分には横方向にも縫い目がある。圧倒的にシンプルな構成で、まるでサック(ズタ袋)のようだというところに名称の由来があるそうだ。特徴としては他に、肩線がパッドの付かない自然なライン、ボディは、腰に「絞り」を入れない直線的なライン、腰ポケットはフラップポケット、背中にはセンターベントが切られている、などがある。
面白いのは衿とボタンのデザイン。専門用語で「三つボタン段返り衿」と言うが、1番上のボタンが衿の中に隠れているところがポイントだ。これには興味深い逸話がある。当時、3つボタンから2つボタンに流行が推移している中、新しいジャケットを買えない貧乏な大学生たちが着古したジャケットの一番上のボタンを衿で隠すようにしていたところ、ブルックスが目をつけ、新しいスタイルとして採用したという。ポロ選手の賢いシャツ衿処理から生まれたボタンダウン・シャツもそうだが、ブルックスの発明の背景には必ず、消費者の合理的発想からの想起がある。
デザインがシンプルで直線的なサックスーツは、近代の機械技術で大量生産できるという利点もあった。19世紀の半ばに発明されたミシンが仕立て職人たちを過酷な手作業から解放したのは言うまでもない。それまでのオーダーメイドに変わってレディメイドが主流になっていく。この時流にいち早く着目し、全米で最初に既製服製造を開始したのもブルックスだ。それゆえに1901年の発表後、爆発的人気を呼んだNo.1サックスーツは、難なく大量生産され、やがて米国のビジネススーツの基本となる。
やや「やんちゃ」な革新性
サックスーツの発表とほぼ同時期に、ブルックスはサマーシャツの新素材としてマドラスチェックを導入する。また、レジメンタルタイをビジネスシーンでの定番アイテムとして提唱している。ただし、向かって右上から左下にカタカナの「ノ」の字の方向で走る英国軍隊式の縞模様を、わざと左上から右下に走らせ「レップタイ」と名付けた。若いころにアイビーをかじったご同輩ならば、「逆『ノの字』のタイならブルックス」は一生忘れない「常識」だろう。同社には、一貫してやや「やんちゃ」な革新性がある。ここがブリティッシュと一線を画するアメリカントラッドの身上かもしれない。
(つづく)
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Brooks Brothers
1818年創業の米国最古の衣料品メーカー。No1サックスーツ、ボタンダウンシャツ、ポロスーツなど同社が生み出したスタイルは紳士服の歴史に革新的な影響を与えてきた。歴代の大統領に愛用され、フレッド・アステアのダンス映画から最近の「グレート・ギャツビー」までハリウッド映画でも多数起用されるなど、米国服飾界のスタンダードとなっている。マジソン街本店を中心に米国内では210店舗を展開(2015年現在)。日本では1979年に海外店舗第1号店として東京に青山店をオープン、現在75拠点80店舗を展開中。
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取材・文/中村英雄 映像ディレクター。ニューヨーク在住26年。人物、歴史、科学、スポーツ、音楽、医療など多彩な分野のドキュメンタリー番組を手掛ける。主な制作番組に「すばらしい世界旅行」(NTV)、「住めば地球」(朝日放送)、「ニューヨーカーズ」(NHK)、「報道ステーション」(テレビ朝日)、「プラス10」(BSジャパン)などがある。