連載797  どうやっても変われない日本 バイデン大統領来日とフィンランドのNATO加盟 (下)

連載797  どうやっても変われない日本
バイデン大統領来日とフィンランドのNATO加盟 (下)

(この記事の初出は5月24日)

 

輸入エネルギーの半分以上がロシア産

 フィンランドは寒冷地、白夜の国だけあって、国民1人当たりの電力消費量はEU域内でもトップクラスで、ロシアからのエネルギー供給がないとやっていけない。なにしろ、輸入エネルギーの約半分がロシア産だ。
 そのため、いまのマリン政権の緊急課題は、今年の冬のエネルギーの確保である。フィンランドの冬は長い。
 フィンランドでもガソリン価格は上昇を続けていて、すでに1リットル2ユーロ(約270円)を越えている。毎日の食卓に欠かせないパンの値段も上がった。
 しかし、輸入エネルギーの半分をロシアに依存しているとはいえ、フィンランドのエネルギー自給率は、近年、60%近くに達している。この点は、日本と大きく違う。日本のエネルギー自給率は、たったの11.8%である。

 

2035年までにカーボンニュートラル達成

 フィンランドのエネルギー自給率が高いのは、地球温暖化対策、SDGs(持続可能な開発目標)に真剣に取り組んできた成果である。
 フィンランドは、2035年までにカーボンニュートラル、2030年代末までに発電・発熱において化石燃料を使用しない世界で初めての国になることを目指している。
 したがって、今回のNATO加盟申請で、ロシアからのエネルギー供給がなくなっても、その準備はできていたと言える。なにも考えず、たとえ輸入天然ガスの6%とはいえ、樺太の「サハリン2」に頼っていた日本とは大違いだ。
 すでに、フィンランドの石油精製会社「Neste」は、ロシアから輸入していた原油の一部をノルウェー産に切り替えた。また、冬の電力に関しても、スウェーデンの協力を得られることになった。
 さらに、6月末には、欧州初のEPR原子炉「オルキルオト原子力発電所3号機」が、営業運転を開始する予定だ。このオルキルオト3号機は、フィンランドの全電力需要の14%をまかなうことができるという。

 

帝政ロシアに1世紀以上支配された歴史

 フィンランドのロシアからの完全独立は、この国の国民の最大の願いでもある。それは、19世紀から20世紀初めにかけて、フィンランドが帝政ロシアの統治下にあったことが大きく影響している。
 この時代のフィンランドは「フィンランド大公国」と呼ばれたものの、実際はロシアの完全な属国、植民地で、ニコライ2世の時代には、国民は弾圧され、公用語としてのロシア語が強要された。
 1917年のロシア革命により、帝政ロシアから独立したとはいえ、その後もソ連からの圧力を受け続け、フィンランド冬戦争ではソ連に国土を奪われた。したがって、フィンランドはこうした歴史を教訓に、けっしてロシアを刺激しない政策をとってきた。1991年のソ連崩壊で圧力は弱まったとはいえ、なにをするにも常にロシアの意向を伺ってきた。
 しかし、今回のNATO加盟申請で、ロシアの軛(くびき)からは完全に逃れることになった。

 

戦争を生き抜いた私の父と母の運命

 私の父は1944年、19歳で招集され、北支那派遣軍第五九師団に配属され、満洲で戦った。そして、終戦時、侵攻してきたソ連軍に捕まり、シベリアに輸送されることになった。
 しかし、ここで奇跡が起こった。発疹チフスに罹り、チチハルで輸送列車から放り出されたのである。「もしあのとき、発疹チフスに罹らなかったら、シベリアへ行って死んでいただろう」と、父はよく言っていた。
 実際、シベリアに抑留された多くの日本軍兵士が死んだ。
「ロシアだけは信用できない」
 そうも、父は言っていた。満州に侵攻してきたロシア兵が、なにをしたかを父は見てきたからだ。それは、いま、ウクライナで起こっているようなことだ。
 私の母は、1945年5月29日の横浜大空襲のとき、当時暮らしていた横浜市南区通町の家から祖父母とともに近所の防空壕に逃げた。このとき、火の手が迫っていたので大岡川に逃げた家族もあったが、ほとんど死んだという。B29が去ったあと、P51が大岡川に沿って機銃掃射をしていったからだ。
「あとから行ってみると、川が真っ赤に染まっていた。だから、あのとき川に逃げたら、私も死んでいた」と、母はよく言っていた。
 このように父母が戦争を生き延びなければ、いまの私はいないわけで、娘もいないことになる。その娘が、フィンランド人の子供を生むことになるのだから、運命とは本当にわからない。


(つづく)

この続きは6月27日(月)発行の本紙(メルマガ・アプリ・ウェブサイト)に掲載します。 

※本コラムは山田順の同名メールマガジンから本人の了承を得て転載しています。

山田順
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。主な著書に「TBSザ・検証」(1996)、「出版大崩壊」(2011)、「資産フライト」(2011)、「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)、「円安亡国」(2015)など。近著に「米中冷戦 中国必敗の結末」(2019)。

 

 


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