連載811  円安、株安、賃金安の3重苦は止まるのか? 行動経済学の罠に落ちた日本(上)

連載811  円安、株安、賃金安の3重苦は止まるのか?
行動経済学の罠に落ちた日本(上)

(この記事の初出は6月14日)

 

「損出回避」でずっと行動してきた日本

 行動経済学によれば、人は必ずしも合理的な判断をしない。人の経済行動を決めているのは、「損得勘定」より「損出回避」である。これをこの「失われた30年」でずっと続けてきたのが、日本人であり、日本企業であり、すなわち日本国である。
 行動経済学では、これまでに様々な法則や理論が提唱されてきたが、そのなかで、もっとも「なるほど」と納得できるのが、「損失回避の法則」だ。これは、1979年に「プロスペクト理論」という論文の中で発表された行動経済学の基本的理論だ。
 この理論を説明するためによく引き合いに出されるのが、次のようなゲームだ。
《100万円を払ってコインを投げ、表が出たら150万円差し上げます。しかし、裏が出たら100万円は没収です。このゲームを10回やりますが、参加なさいますか?》
 こう言われた場合、多くの人間はまずこう答える。
「手持ち資金に余裕があればやってみたい。でもそんな余裕はないのでやめときます」
 しかし、この答えは完全に間違っている。なぜなのだろうか?


 

期待値を考えれば必ず勝つことすぐわかる

 このゲームは、手持ち資金とはまったく関係なく、絶対に勝てるゲームだからだ。投資がなにかわかっている人間なら、間違いなく借金をしてでもこのゲームをやるだろう。その答は、確率論に基づく。
 確率論で言うと、コインを投げたとき表が出るか裏が出るかの確率は2分の1である。そして、表が出れば150万円もらえるから、100万円払って50万円儲かる。ただし裏が出れば100万円失う。
 ここで問題になるのは、期待値である。
 勝った場合はトータルで250万円が戻ってくるので、それを2分の1で割れば125万円となる。つまり、期待値は125%、100%を大きく超えている。100万円を払えば平均125万のリターンが得られるのだから、10回もやればよほどの「揺らぎ」がない限り、確実に儲かる。
 単純に「揺らぎ」がないとして、10回のうち5回が表、5回が裏としてみよう。この場合、得られるのは750万円で失うのは500万円。つまり、250万円儲かることになる。
 もしこれがギャンブルなら、100%を超える期待値などありえないので、誰でも賭ける。投資においても元本割れなどザラだから、期待値が100%を超えているなら、誰でも絶対に投資する。
 しかし、このことを一瞬でわかる人間はほとんどいない。

 

損をするという恐怖心が判断を狂わす

 日本人、日本企業、そして日本国は、バブ崩壊以降、ほとんど投資をしなくなった。個人は貯蓄に励み、企業は内部留保を溜め込み、国は借金による公共投資というケインズ政策で経済を支え続けることに専念してきた。なにもかも、これ以上失いたくないという「損出恐怖症」にかかり、極力リスクを取らないという道を選んできた。
 人には恐怖心がある。合理的に考えれば儲かるとわかっていても、恐怖心が判断を狂わす。これが、「損失回避の法則」で、日本は30年以上、これでやってきたから、経済成長できなかった。イノベーションは起こらず、株価は上がらず、給料も上がらず、デフレがずっと続いてきた。高度成長で得た富を守りに守って、“ジリ貧”になったのである。
 経済成長が止まったのは、人口ボーナスがなくなり、社会が高齢化して活力が失われたことが最大の原因である。しかし、その背景には、「もうこれ以上なにかを失いたくない」という国民の不安心理があった。
 とくに、高齢者はこの気持ちが強かった。
 こうした見方に納得がいかない方は、2002年にノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンの『ダニエル・カーネマン心理と経済を語る』という本を読むことをお勧めする。


(つづく)

この続きは7月18日(月)発行の本紙(メルマガ・アプリ・ウェブサイト)に掲載します。 

※本コラムは山田順の同名メールマガジンから本人の了承を得て転載しています。

山田順
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。主な著書に「TBSザ・検証」(1996)、「出版大崩壊」(2011)、「資産フライト」(2011)、「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)、「円安亡国」(2015)など。近著に「米中冷戦 中国必敗の結末」(2019)。

 

 


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