米圧力で原潜監視「緩和」

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共同通信
米原潜寄港時の放射線監視を巡る米国側の主張が記載された機密文書=5月、東京都港区の外交史料館

 沖縄返還が迫る1970年、米原子力潜水艦が日本に寄港する際の放射線モニタリング(監視)の緩和を米国が日本に要求、原潜派遣中断による軍事協力の縮小を示唆し圧力をかけていたことが17日、機密解除された外交文書で分かった。日本側は口頭了解の「密約」の形で対応。「非核三原則」との関連を巡る国会追及回避のため、日米の口裏合わせを画策するような記述もあった。

 米軍統治下の沖縄への入港に制約はなかった。琉球大の我部政明名誉教授は、返還後の沖縄での監視を緩めると同時に「本土にある横須賀と佐世保の基地も、沖縄と同様に自由に使いたかったのだろう」と指摘した。

1964年11月、那覇港に寄港中の米原子力潜水艦「シードラゴン」