連載824  ロシアは必ず負けて衰退する! フィンランド冬戦争・継続戦争の教訓② (中1)

連載824  ロシアは必ず負けて衰退する! フィンランド冬戦争・継続戦争の教訓② (中1)

(この記事の初出は6月29日)

 

独ソの勢力拡張を防ごうとした英仏

 

 とはいえ、各国のフィンランド支援は、勢力を拡張させているソ連とドイツから、自国権益を守るという目的もあった。これ以上、欧州をソ連とドイツにいいようにされたくないという点で、とくに英仏の思惑は一致していた。
 そのため、12月19日、英仏両国は、フィンランド支援に加え、スウェーデンとノルウェーに対して積極外交を行うことを確認しあった。フランスのエドゥアール・ダラディエ首相は、ドイツが戦争遂行するうえで最重要拠点とされるスウェーデンの鉄鉱生産地を先制攻撃することを提案した。この作戦は、英仏両軍をノルウェーの北極圏にある不凍港ナルヴィクに上陸させ、スウェーデンを目指すというものだった。
 つまり、これを実行するには、スウェーデンとノルウェー両国の承認が必要だった。しかし、両国は独ソ両国に牽制され、それまでの中立的地位破棄の危険を冒すことを恐れた。
 フランスのダラディエは、かなりの強硬派だった。彼はドイツに石油を供給しているソ連のバクー油田をトルコの協力を得て爆撃する計画も英国に提案している。
 英仏ともドイツとソ連を敵としていたが、ドイツのほうが手強いと見て、ドイツへの資源提供国か、弱いぼうのソ連を先に叩こうとしたのだ。
 これは核兵器のない時代だから、当然の考えであろう。
 まだ、独ソ戦は始まっておらず、ドイツとソ連は別々に他国を侵略しつつあった。

 

満場一致による国際連盟からのソ連追放

 当時の国際世論のフィンランド支援は、ウクライナ戦争でのウクライナ支援と同じだ。英仏でもアメリカでも、メディアがフィンランド冬戦争の模様を逐一報道し、ソ連軍の非道ぶりを書き立てた。
 こうした世論を背景に、「国際連盟」は大きく動いた(当時は「国際連合」ではないことに注意)。
 フィンランド冬戦争の勃発から4日後の12月3日、フィンランド代表のルードルフ・ホルスティ外相は、国際連盟にソ連の侵略行為を提訴した。これに対し、ソ連はフィンランドとの戦争を否定し、ソ連と友好条約を結んだフィンランド民主共和国と平和な関係を維持していると回答した。
 そのため、国際連盟総会はソ連欠席で開かれ、13カ国からなる調査委員会が設置された。この調査員会の報告に基づき、国際連盟はソ連に対してフィンランドからの撤兵を求めたが、ソ連はこれを拒否した。
 こうして12月14日、第20回国際連盟総会で、ソ連を除名する決議案が満場一致をもって採択され、ソ連は国際連盟から追放された。しかし、ソ連を追放したといっても、進行中の事態が変わるわけではない。
 現在の国連もまた同じである。ロシアが常任理事国で拒否権を持っている以上、状況はさらに悪い。2022年3月3日、国連総会で、ロシア非難決議が反対5カ国、棄権35カ国、賛成141カ国で採択されたが、なんの効力も持ちえなかった。
 いまの国連は、「口先番長」以下である。

 

じっと戦争の状況を見守っていたヒトラー

 前記したように、まだこの時点ではドイツはソ連に参戦していない。「独ソ秘密協定」が生きていた。よって、ヒトラーはひたすら戦争の状況を見守っていた。
 そうしながら、ヒトラーはイタリア・ハンガリーからドイツ経由でフィンランドに送られる支援物資を差し止め、送り返させている。さらに、フィンランド政府から再三にわたり、ソ連との調停の間に立ってほしいと要請されたが、無視し続けた。
 1940年3月、戦争がフィンランドの大幅な譲歩で停戦される運びになると、ヒトラーは、ソ連のフィンランドへの要求は合理的であり、ソ連の共産主義との共存・友好は可能であると、ムッソリーニへの書簡に返答している。
 しかし、ヒトラーがフィンランド冬戦争で見ていたものは、ソ連軍の意外な弱さだった。組織化された大軍にもかかわらず、フィンランド軍のゲリラ的な抵抗に遭うと、なすすべもなかったのだ。このことを教訓として、ヒトラーが対ソ戦に踏み切ったのは間違いないだろう。ソ連軍などドイツ軍の敵ではないと確信したのだろう。
 フィンランド冬戦争におけるドイツの位置は、ウクライナ戦争における中国の位置と同じとも思える。もし、習近平が面子より戦略を重視するなら、台湾を併合するよりも、今後、弱体化していくロシアから極東地域を奪うことを考えるだろう。

 

(つづく)

この続きは8月4日(木)発行の本紙(メルマガ・アプリ・ウェブサイト)に掲載します。 

※本コラムは山田順の同名メールマガジンから本人の了承を得て転載しています。

山田順
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。主な著書に「TBSザ・検証」(1996)、「出版大崩壊」(2011)、「資産フライト」(2011)、「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)、「円安亡国」(2015)など。近著に「米中冷戦 中国必敗の結末」(2019)。

 

 


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