「核あればロシアの侵攻防げた」

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共同通信
1994年1月、ウクライナに配備された核兵器のロシアへの移送と廃棄を確認する合意文書に署名するクリントン米大統領(左)、エリツィン・ロシア大統領(中央)、クラフチュク・ウクライナ大統領(ロイター=共同)

 ソ連崩壊直後の1990年代、独立したウクライナの核兵器放棄を巡り、ロシアとの交渉を担当したユーリー・コステンコ氏が11日までに共同通信の取材に応じた。侵攻が続く中「核があれば、ロシアは攻め込めなかっただろう」と述べ、短期間での核兵器放棄に至った当時の決定は誤りだったとの認識を示した。

 コステンコ氏は「長期間、少なくとも10年以上かけて核兵器を放棄し、完了と同時に北大西洋条約機構(NATO)に加盟する戦略を描いていた」と説明。「核兵器が(ウクライナに)存在する間は誰も攻めてこないし、NATOに入れば、安全が保証されるからだ」と振り返った。