連載908 岸田政権は「脱炭素」に無理解・無策。 なぜ日本は“環境後進国”に転落したのか? (弍ノ完)

連載908 岸田政権は「脱炭素」に無理解・無策。
なぜ日本は“環境後進国”に転落したのか? (弍ノ完)

(この記事の初出は11月9日)

 

原子力の代替電源は火力一択しかなかった

 東日本大震災による福島第一原発のメルトダウン事故は、原発安全神話を根底から覆した。その結果、原子力を中核としたエネルギー政策を見直さざるを得なくなった。
 ただ、それ以上に大きかったのは、原子力を失ったことで、その代替電源として火力発電に頼るほか選択肢がなくなったことだ。
 火力発電は2010年時点で、電源構成の約6割を占めていた。それが、震災後の翌年には約9割を占めるまでになった。
 現実問題として、温室効果ガス排出削減、脱炭素などと言っていられる場合ではなくなったのである。このことは、じつは決定的で、あの時点で、日本は“環境先進国”ではなくなった。
 とはいえ、その後、火力に頼るのをやめることは可能だった。しかし、それを阻んだのが、日本の石炭火力発電の技術力の高さだ。日本の石炭火力は蒸気タービンの圧力や温度を極限まで上昇させる方法で、欧米やアジア諸国に比べ高い発電効率を実現していた。つまり、二酸化炭素の排出量は少なく「クリーン電源」とも言えたのだ。
 そのため、これを有効活用し、なおかつ、海外に輸出する政策が安倍政権でとられた。なにしろ、中国の火力発電は、二酸化炭素輩出、熱効率などおかまいなしに輸出されていたからだ。

 

リードしていた太陽光発電でも遅れを

 日本が見誤ったもう一つは、現在、再生可能エネルギーの中心となった「太陽光」を軽視してしまったことだ。これもいま思うと本当に情けないが、1990年代は日本が世界の太陽光をリードしていたのだ。
 巨額の財政援助が投じられた「サンシャイン計画」がつくられ、日本メーカーが世界の太陽光パネル生産において高いシェアを有していた。
 しかし、いまや太陽光パネルの生産は中国に完全に持っていかれ、太陽光パネル生産世界トップ10のうち、なんと9社が中国企業である。
 風力エネルギーもまた、欧州、中国にシェアを奪われ、日本勢の存在感はまるでない。
 現在、太陽光発電、風力発電が奨励され、全国規模で導入が進んでいるが、太陽光パネルも風車にしても、中国をはじめとする海外メーカーのものを輸入するほかなくなっている。

 

「気候変動か、経済か」という二者択一はない

 こうして、日本は“環境後進国”になったわけだが、挽回のチャンスは何度かあったと思う。しかし、日本の政治家も官僚も、そしてメディアも目を覚まさなかった。
 ようやく目が覚めたと思えたのは、中国が「パリ協定」発効のタイミングで「2060年カーボンニュートラル」を宣言したときだ。しかし、いま思えば、このときもスルーしてしまった。
 なぜなら、アメリカでトランプ政権が発足し、トランプはまったく意に介さずに「パリ協定」から離脱してしまったからだ。
 しかし、そうこうしているうちに、温暖化は進み、気候変動が目に見えて猛威をふるようになってしまった。もはや、気候変動は環境問題ではなく、経済・社会問題となって、人類の生存を脅かすようになった。もう「気候変動対策か、経済対策か」という二者択一できる時代ではなくなったのである。
 そう思うと岸田政権の無理解・無策ぶりは嘆かわしい。ここで、脱炭素に対して真剣に対処しなければ、日本はあらゆる面で後進国になってしまう。脱炭素競争から脱落すれば、日本企業は多くのビジネスチャンスを失い、私たちの暮らしはよりいっそう厳しいものになるだろう。
(了)

【読者のみなさまへ】本コラムに対する問い合わせ、ご意見、ご要望は、
私のメールアドレスまでお寄せください→ junpay0801@gmail.com

山田順
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。主な著書に「TBSザ・検証」(1996)、「出版大崩壊」(2011)、「資産フライト」(2011)、「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)、「円安亡国」(2015)など。近著に「米中冷戦 中国必敗の結末」(2019)。

 

 

タグ :