連載924 ポルトガルが示す日本の未来:
繁栄を誇った国家はなぜ衰退していくのか?(完)
(この記事の初出は2022年11月29日)
歴史のアナロジーならポルトガル
歴史には不思議なアナロジーがある。『資産フライト』でも考察したが、日本はアルゼンチンになるというより、ポルトガルになってしまうというのが、私の見立てだ。
ポルトガルは、16世紀にはスペインと並んで世界を2分した大帝国だった。キリスト教も鉄砲も、欧州文明はみなポルトガルが日本にもたらした。
しかし、その後のポルトガルは、オランダ、イギリスのように資本主義が芽生えず、自由社会が形成されなかったため、18世紀になると明らかに衰退に向かった。そこに襲ってきたのが、1755年のリスボン大震災と大津波だった。
リスボン大震災のマグニチュードは8.7とされ、津波による死者1万人を含む、5万5000人から6万2000人が死亡したとされている。この地震と津波で、当時のリスボン市内の建物の約9割は破壊され、民家から宮殿までがことごとく失われた。まさに、東日本大震災に見舞われた日本と同じである。
震災後、まだポルトガルには底力があったので、リスボンの街は復興した。王は新しい都市計画を立て、それに基づいて街づくりが行われた。しかし、新しい街はできたが、1度失われた産業は戻らなかった。
こうして、ポルトガルはその後250年間にわたり、失われた歳月を重ねてきたのである。
震災後まったく変わってしまった国民性
近代以降のポルトガルは、数々の変遷を重ねてきたが、本当の意味での民主制が成立したのは、1974年の「ポルトガル革命」で第二共和制となってからである。それまでは、ナポレオンに征服されたり、王政は倒れたが独裁政治が続いたりと、前述した「収奪的制度」から脱出することができなかった。
しかも、海外領土のほとんどを失い、EUに加盟したとはいえ、恒常的な経済不振、財政難でEU内でも“劣等生”扱いである。
ポルトガル人は、リスボン大震災の後遺症で、国民の意識、すなわち国民性がガラリと変わってしまったと言われている。世界帝国だったころのポルトガル人は、富にはどん欲で、それが大航海時代を実現させる原動力になった。当時の航海は命がけだったから、荒々しい気性がポルトガル人の特徴とされていた。
しかし、いまのポルトガル人は、陽気だが、おっとりしていて、時間やおカネに対してルーズだ。おしなべて仕事熱心ではなく、会社はよく休む。毎日の暮らしを楽しめばいいという人々がほとんどだと、リスボン在住の私の知人は言う。
このポルトガル人に、現代の日本人の若者たちの姿が重なる。総じていまの若者たちは、おっとりしている。「草食系」と言われるように、すべてに淡白で、すぐ諦めるきらいがある。
「弁当男子」を見ればわかるが、彼らはほぼ「小さな幸せ」(スモールハッピネス)を追い求めるだけで、おカネに対するどん欲さがない。
愛国心を押さえ込んで、あえて言うが、やる気がある若者は、みなこの国を出たほうがいいと、私は思う。このままでは、国家と無理心中するだけで、将来が暗すぎるからだ。
(了)
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山田順
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。主な著書に「TBSザ・検証」(1996)、「出版大崩壊」(2011)、「資産フライト」(2011)、「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)、「円安亡国」(2015)など。近著に「米中冷戦 中国必敗の結末」(2019)。