連載963 最有力候補ディサンティスと次期大統領選 (1) ディサンティスとはいったい誰か? Who,s Who? (中)
なぜ「ミニ・トランプ」と呼ばれたのか?
ディサンティスは、これまで、トランプと同じような政策を実行してきた。たとえば、移民には不寛容で、2022年9月に、移民50人ほどを乗せたバスを、富裕層のリゾート地として有名なマサチューセッツ州マーサズ・ヴィンヤードに送り込んだ。これは、テキサス州のグレッグ・アボット知事が、やはり移民を乗せたバスをワシントンDCのカマラ・ハリス副大統領公邸に送り込んだのと同じである。
共和党はコロナ禍に対しても不寛容で、ディサンティスは、「マスク・マンデート」(マスク着用義務)をいち早く解除した。そのせいか、フロリダでは一時的に感染者が爆発的に増えたが、保守層の有権者にはこの政策が大歓迎された。
さらに、彼はLGBTQなど、性的マイノリティに対しても不寛容で、フロリダ州の小学校や幼稚園などの教育機関で性的指向や性自認について議論することを禁じた、通称「ドント・セイ・ゲ・アクト」(ゲイと言ってはいけない法)を制定した。
これを、オーランドにあるディズニーワールドが批判すると、ディズニーワールドに対する優遇税制と特別自治権を一方的打ち切った。
こうしたことを見れば、誰もが「なんだトランプと同じではないか」と思うわけで、それで、「ミニ・トランプ」と呼ばれたのである。
トランプとは大きく異なるエリート学歴
「ミニ・トランプ」と呼ばれはしたが、ディサンティスの経歴は、トランプとは大きく異なる。
ディサンティスは1978年9月、フロリダ州ジャクソンビルで生まれた。イタリア系移民の一族で、父親はニールセン社が視聴率を計算するためにモニター世帯に置く機器を設置する仕事をし、母親は看護師だった。6歳でディズニーワールドのあるオーランドに移ったが、そこで生まれた妹は20歳で亡くなっている。一家はけっして裕福ではなかった。
ディサンティスは、小さいときから野球をやり、リトルリーグのワールドシリーズに出場した。その後、ずっと野球を続け、高校では出場した州大会で打者として大活躍した。
1997年、イエール大学に進学すると、野球部に入り、主将を務めている。歴史学を専攻しながら野球に励み、さらにいくつかの仕事を掛け持ちした。
そうして2001年に卒業すると、1年間、高校で歴史の教師を務めた後、ハーバード大学ロースクールに入学し、2005年に法務博士号(JD)を取得、フロリダ州弁護士となった。
異色なのは、在学中の2004年に海軍に入隊し、2007年には海軍特殊部隊「Navy SEALs」のリーガル・アドバイザーとしてイラク・ファルージャに派遣されたことだ。
トランプも、アイビーリーグの名門 Uペンのウォートンスクールの卒業生だが、“裏口入学”疑惑があり、在学中は4度も学業を理由に徴兵免除を受けている。さらに、医師の偽診断書で徴兵免除を受けた疑惑も発覚している。
トランプに忠誠を誓った州知事選
ディサンティスが政治家人生を歩み始めたのは、2012年のこと。この年の連邦下院議員に出馬し、初当選を果たした。当選すると、すぐに、共和党内の議員連盟「フリーダム・コーカス」の創設メンバーとなり、トランプを支持することになる。
2018年のフロリダ州知事選挙では、完璧な「トランプ・チルドレン」を演じた。選挙広告にまだ幼い娘を登場させ、国境の壁をイメージして、おもオモチャのブロックで「壁を築く」よう促し、さらに胸に「Make America Great Again」が描かれたベビー服を着せた。
トランプ大統領(当時)はディサンティスに関する応援ツイートを繰り返し、応援演説も行なった。ディサンティス陣営は、トランプとの仲を強調するため、彼がエアフォースワンの機内でトランプと並んで座っている写真を配布した。
2022年11月の中間選挙で、2期目の当選を果たしたときも、トランプ流のポピュリズムに乗ったかたちの当選だった。しかし、選挙直後から様相が変わった。トランプ・チルドレンの候補者のなかに、落選者や得票が伸びなかった候補者が出たからだ。
明らかにトランプのパワーは衰えていた。
そのため、大差で当選したディサンティスは、メディアの注目を一気に浴びることになった。
これに気分を害したトランプは、その後、なにかにつけてはディサンティスを“口撃”するようになった。いまや、2人は完全に仲違いしている。
(つづく)
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※本コラムは山田順の同名メールマガジンから本人の了承を得て転載しています。
山田順
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。主な著書に「TBSザ・検証」(1996)、「出版大崩壊」(2011)、「資産フライト」(2011)、「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)、「円安亡国」(2015)など。近著に「米中冷戦 中国必敗の結末」(2019)。