旧鹿島海軍航空隊の跡地を公開

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共同通信

 太平洋戦争の貴重な遺構を後世に残そうと、茨城県美浦村が、霞ケ浦湖畔で水上飛行機の操縦訓練をしていた旧鹿島海軍航空隊の跡地を整備し、7月から一般公開を始めた。司令部やボイラー棟は当時の面影を残しており、関係者は「時が止まったかのようなこの場所で戦争に思いをはせてほしい」と話す。

 鹿島海軍航空隊は1938年に発足。パイロットの基礎教育を行う海軍飛行予科練習生を修了した20歳前後の飛行練習生らが、霞ケ浦南岸の約27ヘクタールの敷地で訓練し、在籍者は一時、千人を超えた。

 また45年には特攻隊が編成され、沖縄周辺で出撃した記録が残る。特攻や空中戦などで数十人が戦死したとされる。

 戦後は東京医科歯科大病院の分院として結核患者の治療に使われ、97年の閉院後は長く放置されていた。敷地の一部は国の研究機関や民有地になっている。

 跡地には、司令部があった鉄筋コンクリート3階建て庁舎や旧式ボイラーがある汽缶場、自力発電所、自動車庫の4棟の他、士官宿舎の基礎部分や旧海軍のマークが入った消火栓も残っている。