連載1113 負けがわかっていても突き進む 大阪万博は「インパール作戦」「本土決戦」なのか? (中3)

連載1113 負けがわかっていても突き進む
大阪万博は「インパール作戦」「本土決戦」なのか? (中3)

(この記事の初出は2023年10月10日)

安倍元首相を口説いた「おちょこ事件」

 それにしても、このとんでもない時代錯誤の大阪万博は、なぜ決まったのか?
 その内幕的な話を、2020年11月の「万博フォーラム」というトークイベントで、“維新トリオ”である橋下徹氏、松井一郎氏、吉村洋文氏の3人が語っている。
 以下、それを報じた「報知新聞」の記事をそのまま引用する。
《橋下氏は15年12月、松井氏、吉村氏とともに万博誘致の協力を仰ぐため、当時の安倍晋三首相(66)、菅義偉官房長官(71)と会談した席を回顧。「万博が実現したのは松井さんの政治力。安倍さんのおちょこに酒を注いで『(万博は)必要ですよね! 総理!』。安倍さんはお酒が強くないのに、安倍さんも『そうだよね!』。それまでは(世論は)シラ~ッとしていたが、お酒を注ぎ倒して実現した」と松井氏の酒宴での“腕”を評価した。当時、大阪市長に就任したばかりの吉村氏も「おちょこ事件」と表現して「あの事件以来、グワーッと動いた」と驚いたという。》
 この経緯を松井氏は、自身の著書『政治家の喧嘩力』(PHP研究所)でも述べている。《総理にお酒を注ぎながら、一生懸命、持論を展開した》ことで、大阪万博が動き出したというのだ。《すると安倍総理は、「それは挑戦しがいのある課題だよね」とおっしゃって、隣の菅官房長官に、声をかけられた。「菅ちゃん、ちょっとまとめてよ」 この一言で大阪万博が動き出した。すぐに菅官房長官は経産省に大阪府に協力するよう指示してくださった。》
 こんな経緯を知っているくせに、維新の馬場伸幸代表は、党会合の席で「大阪の責任とかそういうことではない」とシャアシャアと言うのだから、本当にたいしたものである。

なぜ岸田首相は維新の窮地を救ったのか?

 それにしても、岸田首相はなぜ、矢面に立って万博をやることを選んだのか?
 すでに、松井氏は“グットタイミング”で「引退」。自ら泥をかぶるのを巧みに逃げ切った。また、橋下氏は万博の惨状が次々と明らかになるにつれて、ダンマリを決め込み、万博に関して一切発言しなくなった。
 前記したように、馬場代表は国に責任を転嫁し、「いますぐ止めるべきだ」という共産党に、大阪市の夢洲地価鑑定問題やメール隠蔽疑惑を追及されると、「(共産党は)なくなればいい」とほざいた。
 ただ一人、眠れぬ夜を過ごしてきたであろう吉村知事は、岸田首相に泣きついて、オールジャパン宣言をしてもらい、ほっと一息ついたところだ。
 となると、岸田首相は、窮地に陥った維新を助けたことになる。なぜ、こんなことをしたのだろうか? それとも、万博が失敗するのを見越して、維新に恥をかかせようと、引き受けたのだろうか? 万博が失敗すれば、維新の選挙での力は大きく衰えるからだ。
 しかし、岸田首相にそんな深謀があるとは思えない。なぜなら、相手は維新などではなく、“時間”だからだ。

(つづく)

この続きは11月20日(月)発行の本紙(メルマガ・アプリ・ウェブサイト)に掲載します。 

※本コラムは山田順の同名メールマガジンから本人の了承を得て転載しています。

山田順
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。主な著書に「TBSザ・検証」(1996)、「出版大崩壊」(2011)、「資産フライト」(2011)、「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)、「円安亡国」(2015)など。近著に「米中冷戦 中国必敗の結末」(2019)。

 

 

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