共同通信
「日本一距離の長い路線バス」として知られる奈良交通の八木新宮線。奈良県橿原市の近鉄大和八木駅から、和歌山県新宮市のJR新宮駅まで、169.85キロを約7時間で結ぶ。この長大路線に記者が最初から最後まで乗ってみた。長年ハンドルを握る運転手から、移りゆく地域の話を聞いた。(共同通信=岡田学時)
2023年12月のよく晴れた平日。午前9時59分、バスは静かにエンジン音をたて、定刻で新宮駅前を出発した。乗客はキャリーケースを抱えた男性と私の2人だけだ。
すぐに山間部に入り、エメラルドグリーン色の熊野川に沿って走る。細い山道が続き、対向車とすれ違えず、バックすることも。
出発から約2時間、正午ごろに奈良県に入った。十津川温泉で1回目の休憩。その後の停留所で、十津川村役場に用があるという男性が乗車してきた。「運転免許を持ってないので、バスは生活に必要不可欠。運転手さんは顔なじみ」と話す。
村役場を過ぎると、再び山道が続く。気温は4度。積雪で一度バスを止めてチェーンを装着する日もあるという。
休憩中や後日、運転手の話を聞いた。この路線だけを26年間担当する景山太一さん(58)は「昔は、車内で地元の人と観光客との間に交流もあったんです」と昔を懐かしむ。
地元の高齢の乗客が、観光で乗っていた医師に「脚が痛いので診てください」などと集まり、車内が診療所のようになったこともあったという。
出発から約4時間。十津川村の上野地に差しかかり、2回目の休憩。景山さんは、持参した小さなおにぎり二つを急いで☆(順の川が峡の旧字体のツクリ)張った。「たくさん食べると眠くなるので」
再び走り出すと、車窓から山の斜面の砂防工事が見えた。「ここにあった集落は、全部土砂に流されたんです」。2011年の台風12号による紀伊半島豪雨で、村では土砂災害が発生した。
付近に住んでいた景山さんの同僚や常連客も犠牲になった。バスは2カ月間の区間運休を強いられた。全線復旧した時、地元の人が涙を流して喜んでくれたのが忘れられないという。
「災害以降、お客さんが減った気がする」と景山さん。奈良交通に確かめると、2009年の利用者は年間約13万人いたが、2021年には約7万人に。十津川村によると、沿線の人口減少や高齢化は明らかに進行している。細い旧道で集落に入り、年間で数回しか乗降がないという停留所もいくつか経由した。
出発から約6時間。夕暮れが迫る中、五條市の五條バスセンターに入り、3回目の休憩を取った。しばらく市街地を進む。終点はもうすぐだ。
景山さんは、新宮―大和八木間を2日かけて1往復する乗務を続けている。「もう飽きを通り越した。この路線に乗務できて誇りに思う」と話す。「帰宅が2日に1回という適度な距離感が、夫婦長続きの秘訣かもしれない」と笑った。
乗務の魅力は何かを尋ねると、「新宮に無事帰って来られた時の達成感ですかね」との答え。地元の利用者が減る一方、最長路線を乗り通すために訪れる乗客は増えている。今なら私にも分かる気がする。運転手と乗客で、同じ達成感を共有しているのだろう。
午後5時13分。19分遅れて、終点の大和八木駅に到着した。あたりはすっかり暗い。景山さんとバスは、一夜を明かす葛城営業所に回送して行った。
▽八木新宮線 奈良県橿原市の近鉄大和八木駅と和歌山県新宮市のJR新宮駅169.85キロを結ぶ路線バス。高速道路を使わない路線としては日本最長。停留所は168カ所ある。1日3往復運行し、運賃は全区間を乗り通すと6150円。所要時間は6時間半~7時間。