マンハッタン区のガーメント(生地、素材の意)ディストリクトと呼ばれるアパレル産業地帯を市がブルックリン区に移転する計画があるという。
どの辺かというと、大体23~42丁目、ブロードウェー沿いや6~9番街の周辺を指す。別名ファッション地区とも呼ばれ、7番街の標識に「Fashion Avenue」と表示しているところもある。現在でもあの辺りにはボタンや生地を扱った専門店や問屋、アパレルの工房が残る。このエリアで10年ショールームを持つ日本人デザイナーの1人は、「デザイナーとしては本当に便利な場所。すぐに届けて縫製してくれたり、生地を受け取ったりすることができる。けれど、昔はたくさんあった業者の数はどんどん減っている。それと反比例するように家賃の高騰も激しい」とこぼしていた。あるいは家賃が高騰しているから、工房や職人がこのエリアから消え去っているのかもしれない。
ファッション誌ヴォーグを発行するコンデナスト社がミッドタウンからダウンタウンに移る数年前、ファッション界では「もうファッションの中心地はミッドタウンではなくなるだろう」と囁かれた。だから、この特区がミッドタウンからなくなるのは当然の成り行きにも思える。
そして、このタイミングは新大統領の政策で大幅に揺れる移民問題やニューヨークの変遷と無関係ではなく、絶妙かつ奇妙ですらある。
19世紀前までは服を作る人には奴隷が多く、その後、19世紀後半や20世紀に米国での成功を夢みて、エリス島から流入したドイツ系などヨーロッパからの移民たちの多くが職を求めて、自分たちの持っているスキル、つまり服飾で生計を立てていた。多くの人が忘れ去っているようにみえるが、この街がファッションの街となったのは、彼ら移民がこの地区で黙々と作業しながら産業を発展させ、経済を支えてきたからだ。彼らなしに、今のファッショナブル・ニューヨークは存在しない。
しかし先に述べたように、その景色は今、失われつつある。もしも、新しい大統領が妻の作る洋服の縫製を移民がし、移民を安い人権費で雇っていることを忘れ、目立ちはしないが確実にこの街を支えている人々を葬ろうとしているとしたら、この街の将来は暗いものになるに違いない。奇しくも同じ2月、ニューヨークの空港では“砦”が封鎖され、一方で世界中からニューヨークファッションウィークのために人々が集まっているのをみて、改めて米国にとっての移民とは何かを考えさせれた。(ヤマダエビス)