もはや歯止めがなくなった円安地獄
それにしてもGWを前にして、円安は日本政府の無策ぶりをあざ笑うように一気に進んだ。4月25日には155円を突破し、26日は158円台に乗せた。そのため、仕方なく政府は介入したが、その効果は一時的。
もはや、円安が日本経済にいいという見方は完全に消え失せ、円安による物価高に、国民は悲鳴を挙げている状況だ。
ただ、私が腹が立つのは、無策の政府より、保守系メディアと言論人だ。アベノミクスの頃はさんざん安倍を礼賛して円安は歓迎だと言っていたのに、いまは真逆。一部の「安倍盲信」患者をのぞいて、「アベノミクスの後遺症」とシャアシャアと言っている。
ともかく、円安報道のおざなりぶりには驚くほかない。
まず、どの報道も「34年ぶり」を強調している。しかし、34年前の日米の経済状況は大きく違うので、34年ぶりなどなんの意味もない。さらに、毎回、「介入への警戒感が高まる」と言ってきたことにも驚く。いったい誰が警戒しているというのだろうか。
AIは忠実にアルゴリズムで取引している
「34年ぶり」を強調するなら、もっと問題なのはドル円という為替より物価である。この34年間でアメリカの物価は約3倍になったのに、日本の物価はほぼイーブンだった。まさに「失われた30年」である。
34年前といえば、日本経済はバブルのピークで、1989年9月には、ソニーがコロンビア・ピクチャーズを、10月には三菱地所がロックフェラーセンターを買収している。当時の150円〜160円を誰も円安とは言わなかった。プラザ合意以後は、ずっと円高と言ってきた。
メディアの常套句「介入への警戒感が高まる」については、まったくの創作と言っていい。現在の為替取引は、半分以上がコンピューターによるHFT(超高速取引)である。AIがアルゴリズムで行っている。
AIは人間ではなくマシンだ。マシンが「警戒感」を持つだろうか。日銀総裁が「円安は物価高に影響していない」と言えば、それを素直に受け止めて取引しているだけだ。
機械はこれまで学習したことを忠実に守り、利益を追求している。それなのに、日本のメディアは投機筋が円を売り込んでいるような報道の仕方をする。
いくら借りても金利がつかない円をこれだけ大量に発行すれば、価値がどんどん失われていくのは当然ではないだろうか。
ついに「アルゼンチンタンゴを踊る日」に
日銀の植田総裁の「円安は物価高に影響していない」発言は、明白なウソだが、これを本気で言っているなら、彼は狂っている。ウソなら、なぜウソをつかなければならないのだろうか?
その答えはただ一つ、金利を上げてしまえば、政府が窮地に陥るからだ。
春闘で賃金が5%上がっても、10%の円安になれば帳消しになるばかりか、大幅なマイナスである。それもこれも、国債を積み上げ、事実上の財政ファイナンスをしてきた結果だ。
かつて私はベンジャミン・フルフォードの『日本がアルゼンチンタンゴを踊る日』という本を編集し、日本の財政破綻を警告した。それがいま現実化してきている。
20世紀初頭、アルゼンチンは先進国だった。しかし、その後、数々の経済政策の失敗により先進国から転落した。いま、その道を日本が辿ろうとしている。
ただし、アルゼンチンは農業国で食料を輸入に頼る必要はなかった。しかし、日本は輸入せざるを得ない。このまま行けば、「アルゼンチンタンゴを踊る」くらいではすまなくなるだろう。
(つづく)
この続きは6月3日(月)発行の本紙(メルマガ・アプリ・ウェブサイト)に掲載します。
※本コラムは山田順の同名メールマガジンから本人の了承を得て転載しています。
山田順
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。主な著書に「TBSザ・検証」(1996)、「出版大崩壊」(2011)、「資産フライト」(2011)、「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)、「円安亡国」(2015)など。近著に「米中冷戦 中国必敗の結末」(2019)。