アートのパワー 第36回 メトロポリタン美術館で『ハーレム・ルネサンスと大西洋を越えるモダニズム』展(5)The Harlem Renaissance and Transatlantic Modernism(7月28日まで)

 

私が目を引かれた3人目のアーティストは、ローラ・ウィーラー・ウォーリングLaura Wheeler Waring 1887-1948である。1927 年作『母と娘Mother and Daughter 』は一見美しく描かれた母と娘の肖像だが、色白の娘と褐色の肌の母は人種的混血家族を描いている。私が2度目に特別展を訪れた時、偶然、ムレル学芸員のギャラリートークを聞くことができた。彼女の説明によると、カラリズムcolorism(肌の色の濃淡による差別)やその話題は家族の中でもタブーだったという。『母と娘』はそのタブーを破った作品というわけだ。  

カラリズムは、同じ人種・民族間でも肌の色がより明るい(白い)人がより濃い人より優位に扱われるという差別である。肌の色が白いほど偏見を受けることが少なく、その人種の中でも一般社会でも良いとされる。黒人に限らず他の人種/民族にもある概念だ。単純に肌が白いと言うことが綺麗という褒め言葉になってしまっている。奴隷制度の中で、女性奴隷は奴隷主に強姦され、子どもを産むことを強制された。畑仕事の労働者を増やすための手段でもあった。肌の色の白い黒人が混血であることを隠し、自らを白人として行動することを「パッシングpassing」と言う。生き延びるための手段であったが、その選択をすることで肌の色が濃い兄弟、親戚などから遠ざかる者もいた。  

ウォーリングはコネチカット州の 出身で、父親は同州初の黒人教会の牧師、母親は教員でありアーティストだった。 祖父母は地下鉄道Underground Railroad(奴隷を南部から奴隷制度が廃止されていた北部諸州に逃す組織やその逃亡路を指す。実際に鉄道があったのではない) に参加した。彼女は教育熱心な家庭に育ち、両親の勧めで1906年ペンシルバニア美術アカデミーに進学した。家族の中で大学に進学したのは彼女で6世代目である。

ローラ・ウィーラー・ウォーリング『母と娘Mother and Daughter』1927、キャンバスボードに油彩

在学中はフィラデルフィアにあるアフリカ系アメリカ人(黒人)の教育者を育てることを目的とするチェイニー教員養成学校(現在のチェイニー大学)で非常勤講師を勤め、夏はハーバード大学とコロンビア大学でドローイング(描画)を教えた。自分の作品に取り組む時間などなかったという。1914年アカデミー卒業後、同校の奨学金を得てパリに留学した。ヨーロッパ諸国を旅する計画だったが、第一次世界大戦が始まり、3カ月で帰米を余儀なくされた。第一次世界大戦終了後の1924年、ウォーリングは再びパリを訪れる。この4カ月間にわたる二度目の旅行が、彼女のスタイルとキャリアの転機となった。ウォーリングはこの時期を、彼女の人生の中で最も純粋に芸術的意欲にあふれた時期であり、「絶え間ない刺激とインスピレーションを与えてくれる環境と仲間に恵まれた、芸術家として途切れることのない唯一の生活期間」であったと述べている(Wikipedia)。多くの肖像画を描くようになり、アフリカ系アメリカ人有数の肖像画家となった。帰米後もチェイニーに戻り、ここで30年以上教鞭をとった。ウォーリング はNAACPのメンバーで、機関誌The Crisisの寄稿アーティストでもある。  

アイデンティティを追求することはハーレム・ルネサンス時に大切なことであった。ウォーリングは、より古典的な画風で、威厳、内面性、重厚さを備えた黒人の被写体を描いた。ウォーリングはアフリカ系アメリカ人の有産階級や知識人を描いたアーティストとして実績を認められていたが、作品のアーカイブを任された姪は、美術館の学芸員にウォーリングの作品に関心持ってもらえず苦労した。2014年、アーカイブを見たフィラデルフィア・ウッドミア美術館Woodmere Art Museumの代表者には、将来的に家族の負担にならないように保管している作品を「燃やしてしまった方がいい」と言われた 。母校ペンシルバニア美術アカデミーも当時は関心を示さなかった。『近代化をポーズするPosing Modernity』特別展でムレルがウォーリング の作品を取り上げ、今回のハーレム・ルネサンス展には作品9点が含まれた(NYT Feb. 18, 2024) 。カタログの表紙にはウォーリングの『ザクロを持つ少女Girl with Pomegranate』の肖像が使われている。若い黒人女性をステレオタイプ化せず、近代的な筆致で見事に描いた作品だ。

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文/ 中里 スミ(なかざと・すみ)

アクセアサリー・アーティト。アメリカ生活50年、マンハッタン在住歴37年。東京生まれ、ウェストチェスター育ち。カーネギ・メロン大学美術部入学、英文学部卒業、ピッツバーグ大学大学院東洋学部。 業界を問わず同時通訳と翻訳。現代美術に強い関心をもつ。2012年ビーズ・アクセサリー・スタジオ、TOPPI(突飛)NYCを創立。人類とビーズの歴史は絵画よりも遥かに長い。素材、技術、文化、貿易等によって変化して来たビーズの表現の可能性に注目。ビーズ・アクセサリーの作品を独自の文法と語彙をもつ視覚的言語と思い制作している。

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